小説を読むことを趣味にしたいがどうも長続きしない━━ヤフー知恵袋などを見る限り、そうした人たちの悩み事の代表的なものが【続きが気になるものしか読めないから】というものだと思われます。
しかし、その悩み事を一瞬で解決できる方法があります。ずばり、続きが気にならない小説は読まず、続きが気になる小説だけを読めばいいのです。
きっとあなたの周りやネット上には、川端康成のような難しい古典文学をクールに読了して、感想をあーだーこーだとしたり顔で語っている人が多くいることなのでしょう。それにひきかえ自分は、どんな小説も途中で飽きてしまって読了できず、情けない気持ちに陥ってしまう……。
しかし、それはあなたの頭が悪いわけでも、読書のセンスがないわけでもなんでもありません。続きが気にならない小説しか書けない作家側に責任があるのです。
続きが気にならない小説と出くわしたら、さっさと本を閉じてゴミ箱に捨てなさい。この世の中には東野圭吾や山田悠介など、1度読み出したら続きが気になってページをめくる手が止まらなくなる作家などいくらでもいます。そのような真に才能のある作家の小説だけを読んでいればいいのです。
ほかの記事にも書きましたが、小説家のルーツというのは遥か太古の大昔、村にひとりはいたであろう『オレ、おもしろい話するから肉をくれ』といった人なのです。そして村中の人々は1日の仕事を終えたあと、その人物のもとに訪れて作り話に耳を傾けたのです。しかし、話がおもしろくなかった場合、『つまらん。続きが気にならん。こんな奴に肉や魚を分けたくない』と、村中の人々は無言で立ち上がって帰路についたはずです。
現代の小説に対しても、それと同じ評価のしかたをすればいいのです。続きが気にならなければ読むのをやめ、続きが気になる小説を読めばいいのです。
では具体的に、どんな作家の小説を読めばいいのか?【わたくしメシアの好きな作家一覧】
という記事に、私がファンの作家をまとめています。彼らの小説は嗜好や相性の問題はあるかもしれませんが、ほとんどの人がページをめくるのが苦痛に感じないと思います。
続きが気になり続ける小説にはめったに出会えませんが、少数ながらもそんな夢のような小説を書ける人というのは存在するのです。ぜひともそうした作家を自分なりに見つけてほしいと思います。