ノーベル文学賞にふさわしい作家 | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 ノーベル文学賞━━この賞に選ばれる作家の明確な定義などはよく知りませんが、この賞に選ばれた作家はなんとなく【文学界のキング】といったイメージがあります。

 

 
 ちなみに日本人作家でノーベル文学賞に輝いたのは川端康成と大江健三郎で、候補に上がったのは安部公房、谷崎潤一郎、三島由紀夫などです。

 

 
 彼らに共通していえるのは、純文学の作家だということです。つまりノーベル文学賞とは、崇高なテーマと高尚な内容の小難しい小説を書く人が選ばれるものだ、ということです。

 

 
 しかし、私はこれは大きくまちがっていると思います。万人が理解できない小難しい話をびっしり書きつづった本━━それは小説ではなく哲学書です。

 

 
 では、小説とはどういうものなのか?某有名作家の受け売りになってしまうのですが、小説家のルーツというものをたどっていくと次のような人物にたどり着くと思います。

 

 
 ……遥か太古の大昔、村にひとりかふたりはいたであろう━━『オレ、おもしろい話するから、肉か魚を分けてくれ』━━といった感じの男です。

 

 
 その日の夜、仕事を終えた村中の人々がその男のもとに集まり、男が創作した作り話をときに笑い、ときに涙しながら夢中になって聞き続けるのです。これこそが小説家のルーツであり、老若男女問わず誰もが理解でき、誰もが楽しめ、誰もが感動できるお話━━それこそが小説の神髄、小説の本来の姿だと思います。ノーベル文学賞もそうしたお話をたくさん書いた人に与えるべきなのです。

 

 
 たとえば【レ・ミゼラブル】のユゴー、【赤毛のアン】のモンゴメリー、【指輪物語】のトールキンなど。

 

 
 日本人作家の中では、松本清張や東野圭吾あたりがノーベル文学賞にふさわしいと思います。

 

 
 崇高なテーマに、高尚な内容にこだわるのはナンセンスです。崇高なテーマにこだわればこだわるほど、高尚な内容にこだわればこだわるほど、小説ではなく哲学書に近づいていくだけです。

 

 
 小説とは誰もが楽しめ、誰もが感動でき、誰もが幸せな気分になれる物語が書かれた書物のことをいうのです。ノーベル文学賞の選考基準を根本から改変する必要があるでしょう。

 

 

 

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