小学生時代、最後の担任だったのが、以前にちらっと書いたケイノ先生という人だった。彼女は【正義の熱血教師】という言葉を絵に描いたような人で、弱者を死んでも守り、悪に毅然と立ち向かい続ける人であった。
ケイノ先生の教育から教わったものは数多くあったものの、明らかに大きくまちがっていたことがひとつだけあった。
当時、クラスにオケチ(仮名)という女子生徒がいた。
このオケチという女子生徒、小学6年にもなって単純な計算も簡単な朗読もできず、なんと授業中にウ●コまでもらすような奴だった。そのため、いうまでもなく、クラス中からの罵倒と嘲笑の的になっていた。
そんなオケチに常に味方でい続けた人物がひとりだけいた。それがケイノ先生だったのである。
ケイノ先生はオケチを罵倒と嘲笑の嵐から身をていして守り続け、オケチをバカにする生徒たちをときにはパシッとたたきながらしかり続けた。ある日などは道徳の時間を【オケチのいじめ問題】についてみんなで考える時間にあてたほどだった。
しかし、残念ながら、このケイノ先生の教育と理念は大きくまちがっている。
中学時代、英語を女性の先生が担当していたのだが、生徒たちは彼女の話を一切聞かずに学級崩壊に陥っていた。理由は【英語の先生がなんとなく気に入らないから】だった。
【なんとなく気に入らない】というだけの理由で人をあざける━━これは完全に不合理な許されざる行為である。
しかし、オケチの場合はちがう。オケチは小学6年にもなって足し算引き算もまともにできない、ひらがなの簡単な文もまともに読めない、挙句の果てに授業中にウ●コまでもらす━━そんな人間にあざけり、いやがらせ、嘲笑などを一切おこなうなというのは無理な話である。
大人ならばなんらかの冷静な対処法は考えられることだろう。たとえば職場に異常なほど仕事ができない上にウ●コまでもらすような同僚がいたなら、『あの人はどうにかならないのですか?』と上司に相談をもちかけるなどするだろう。しかし、当時小学生だった私たちに、そんな冷静な大人な行動など考えつけるはずがない。私たちのオケチに対する罵倒と嘲笑は合理的なものだったのである。
あざけりと一口にいっても、そのあざけりを吐くまでの過程には様々な問題が存在する。すべてのあざけりが不合理で、理不尽で、許されざるものではけっしてない。『そういう理由ならしかたがないな』というたぐいのあざけりも無数に存在するのだ。
許されないのは【なんとなく好かない】【なんとなく気にくわない】といった理不尽で漠然とした理由によるあざけりであり、あざけられる側の人間に明らかな非や落ち度がある場合、それは【合理的なあざけり】というものになり、あざけられる側の人間こそが反省をすべきなのである。世界中の教育者たちはこのことをよく肝に銘じてもらいたい。