私はタクシーで実家に向かっていた。タクシーの窓から眺める景色はとても気持ちがよく、暗澹とした日々をおくってきたのが嘘のような安らいだ気分で外の景色を眺め続けた。
このときの私に苦しみや悩みはなく、将来に対する不安感もまだ具体的な形はとっていなかった。今思うとこれが世にいう【嵐の前の静けさ】だったような気がする……。
メシア家につくと私は自分の部屋の3畳間ではなく、6畳間にぐったりと倒れ込むように横になった。そしてウォークマンで先日買ったばかりのとあるライヴアルバムを聞き出した。
ライヴアルバムから聞こえてくる男性アーティストの絶叫が耳に入ってくる。
『君たちのあたたかな心が!わからないものか!オレにはわかるのさ!』
『1度そこへ落ちた奴がはいあがってきたんだぜ』
『きっとなにもかもがちがう!なにもかもがちがう!なにもかもがちがう!』
そのライヴアルバムを聴いていたとき、私の目からつつーと涙が流れた。やがて私はひとりでむせび泣きながら眠りについていった……。
数日後、私は面接用の写真をとるために近所のスーパーにおもむいた。スーパーの入口付近に証明写真機があるのだ。
まだ心の整理がついておらず、面接などする気にもなれなかったのだが、母のススメでとりあえず写真だけ撮りに行くことになった。
が、どうやら証明写真機が故障しているらしく撮影ができない。そこで私はスーパーの中に入り、入ってすぐ左のパン屋の店員の女性に証明写真機が故障していることを告げた。
……いや、告げようとしたのだが、声が出ないのだ。
中学以降、私は人に会うたびにバカにされ、人の輪の中に入るたびにバカにされる人生をおくってきたため、視界の中に入る人間という人間ひとりひとり全員が、自分になんらかのあざけりを浴びせてくるのではないのか?という恐怖感に襲われるようになった。よって私は人と接するときに距離を置くようになり、このときのパン屋の店員に対してもびくびくおどおどしながら話しかけたのである。しかし、うまくものを伝えられずにしどろもどろの状態になってしまった。
「うぅぅぅ……あぁぁぁ……」
なんてこった。オレはついにここまで落ちてしまったのか━━。
数分後、なんとか故障していることを告げ、やってきた男性店員に証明写真機を直してもらった。そして私がなんらかの行動をとったあとのことである。
なぜ【なんらかの行動】なのかというと、どんな行動をとったのか、当時でさえ記憶にないからだ。
証明写真機を直した男性店員の、思いきり見下してバカにするような声が耳に入ってきた。
「おにいさーん、入れたお金が出るかどうかまで試してくれてありがとー」
証明写真機に金を入れてバカにされる。入れた金が出るかどうか試してバカにされる。それが私の人生なようである……。