ブッダの言葉とミロクの真説 【相手の悪(あやまち)ではなく、自分の内側を見よ】 | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

ブッダの言葉

 
 他人の「悪(あやまち)」に気づいても、君がイライラする必要はない。

 
 他人がやらかしてしまったこと、他人がすっぽかしてしまったこと、そんなものをジロジロ見なくていい。

 
 そのかわりに視線をクルッと君の内側へと反転させて、じっくり見つめてみるといい。

 
 「自分は何をやらかしてきて、何をすっぽかしてきたのかな」と。         

 

 

 
弥勒菩薩の真説

 
 たしかに一理ある。完璧な人間などいないのだから、人の失敗を嘲笑したり責めたりする前に自分自身の失敗を振り返りなさい━━そうした教訓なのだと思われる。

 

 
 しかし、失敗を激しく責め立てて深く反省させることも必要だと私は思う。この世の中には普通の人間なら年に数回しかやらかさないであろうポカを、日常的に頻繁にやらかし続けるたぐいの人間が存在するからだ。

 

 
 好例として私の母をあげようと思う。私の母はがさつ、ずぼら、適当、いい加減といった言葉を絵に描いたような人間の分際で、子供の私がまれにいい加減なことをするたびに、まれに失敗をやらかすたびに自分のことを棚に上げて偉そうに説教をたれる人なのである。

 

 
 そんな母にかつて、風呂場の天井の隅っこの汚れをモップで落としてほしいと頼まれたことがあった。背の低い自分ではモップが届かないからあんたがやれということだ。それを頼まれた私はため息をつくだけだった。

 

 
 風呂場の天井の隅っこなどというどうでもいいようなところをきれいにしようと思う暇があるなら、メチャクチャに乱雑と物が置かれている冷蔵庫の中や押し入れの中を整理整頓したらどうなのだ……?

 

 
 たしかに人間とは悪(あやまち)をくり返し続ける生き物である。そして悪(あやまち)をおかすたびに反省をして、悪(あやまち)をおかす数を減らしていこうと精進するのだ。人生とはそのくり返しである。

 

 
 そして大半の自覚と知性ある人々は過去の失敗を教訓にして、めったに同じようなポカをやらかすことのない人間に成長することができている。

 

 
 が、残念ながら世の中には私の母のような、自分の悪(あやまち)を微塵も自覚できずに成長できない人間も多く存在するのである。そうしたたぐいの人間たちの相変わらずの悪(あやまち)をスルーして許してはいけない。相手の成長のためにも叱責し、自覚を持たせる必要があるといえるだろう。

 

 

 

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