松原照子の説
幸福というものは、願ったからといってやって来るものではありません。日ごろの思いや考え方が作り上げる、ご褒美みたいなものです。
だけど、何を幸福に思うかは、みな同じではないのですよね。
そして、人は自分がどれだけ幸福でも、「もっと幸福になりたい」と思うものなのです。本当に人って欲深いこと。
幸福とは、本来は願うことでもなく、また決まった形式があるものでもありません。
平穏に暮らせるだけでも幸福なはずなのですが、食べる物もあり、安心して眠れる家があっても幸福になりたいというのですから、幸福を軽く見ているとしか思えません。
幸福、幸福といくら連発したからって、幸福なんてやって来るはずがありません。だって、幸福がどんなことなのか、分かってもられないのですものね。
この地球という星には、70億人もの人が住んでいます。
今この瞬間も、喜び、悲しみ、苦しみ、そして感動もあれば、悲哀を味わっている人もおられることでしょう。人生ってそういうものだと思います。
そして、さまざまな思いが交差しながら人と出会い、別れもまた、次なるステップへ進むひとコマなのです。いつ何が起きるなどは誰も読めず、その間に出来事が起きて、人生の流れも変える。それが「生きる」ということです。
メシアの論証
『いつ何が起きるなど誰にも読めず……』だと?あなたはかつてブログの中で3・11を予言したのではなかったのか?未来のことが読める特別な力を持った人だったのではなかったのか……?
それはさておき、抽象的な幸福論はどうでもいいから、いかにすれば全人類が幸福になれるかを“不思議な世界の方々”から聞いてはくれないのだろうか?読者や信者の人たちが1番気にかかるのはその点だと思う。“不思議な世界の方々”は幸福についてはなんといっているのだろうか?
最後に━━。
松原先生は『今この瞬間も、喜び、悲しみ、苦しみ、そして感動もあれば、悲哀を味わっている人もおられることでしょう。人生ってそういうものだと思います』といっているが、それはあくまでアセンション前の人類史における考え方だ。アセンションによって悲しみ、苦しみ、悲哀といったものはすべて消滅する。そんな夢のようなユートピアがこれから到来することになる。
未来を予知できて、“不思議な世界の方々”と話ができるらしい松原先生は、そうした未来はまったく見ることができていないようである。