木村藤子の説
結婚後間もなく懐妊される方がいらっしゃる一方で、なかなか子供ができず、結婚後十数年経ったのちにやっと子宝に恵まれる方もいらっしゃいます。
それもこれも運命で定められたことなのですが、どちらのほうが幸せなのか、どちらのほうがよいことなのか、といった区別はそこにはありません。
さらに言うなら、どの両親の元、どんな環境のところに生まれてくるのか、あるいは、男の子として生を受けるのか、女の子として生きていくのか……。
それら、宿命と呼ばれるものすべて、その子が持つカルマによって、生まれる前に定められているのです。
神から教えていただいたことをそのまま申し上げるなら、あの世から再びこの世へと生まれてくる準備が整った魂は、自分の魂に合う親を天界から探します。
そして、カルマがピタリと符合する親の元へと降り、母胎の中で育まれたのち、この世に誕生してくるのです。もちろん、天の計らいが働いているわけですから、そこには万にひとつも狂いはありません。
古くから伝わる諺にも「七度契りて親子となり、三度結びて兄弟と生まる」というものがあります。これは、親子、兄弟の縁は遠く前世からの因縁によって成り立っている、ということを表した諺ですが、そのように、親子の縁にはそれはそれは深いものがあるのです。
つまり、どんなに性格がちがう親子であろうと、出生後、すぐ里子に出されることになろうとも、あるいは、やがてお互いに憎しみ合うことになってしまう親子であっても、親子となる定めであったことはみな同様。その親の元に、子供として生まれてくるご縁であったことにおいては、なんら変わりはないということです。
まずはそのことを、どんなことがあっても、心の片隅にしっかりと収めておいていただきたいと思います。
メシアの論証
たしかにどんなひどい親だろうとなんだろうと、“縁”によってその親のもとに生まれたというのは納得いく。というか、そんなことはわざわざいわれるまでもない当然のことだ。
しかし、その前にちらりと書かれている━━
神から教えていただいたことをそのまま申し上げるなら、あの世から再びこの世へと生まれてくる準備が整った魂は、自分の魂に合う親を天界から探します。
そして、カルマがピタリと符合する親の元へと降り、母胎の中で育まれたのち、この世に誕生してくるのです。
━━という説はどうも腑に落ちない。たとえば親の虐待で殺された子供たちは天界というところで『よし、この人は僕のことを虐待で殺してくれる人だからこの人のもとに生まれよう』などということをきめるというのだろうか……?
そもそもそうした真実を木村藤子に教えたらしい神様はなにをしているのだ?そんなことをひとりのおばさんに教える暇があるなら、さっさと子供を虐待で殺す親をなくしてみせてくれ。神様ならできるはずである。また、神様と話ができるらしい木村藤子も、神様からさっさと虐待をなくす方法、憎しみ合う家族を仲直りさせる方法、子供を里子に出さざるをえない親をなくす方法を聞き出すべきではないのか?
こう考えを進めると木村藤子の説は無理がありすぎ、ただの口から出まかせの大ボラであることがわかってくるのだ。