ある日の片山家。アブドゥラマンが片山直樹に胸のうちを語った。
「ベオグラードの病院に通っていたときは、車の下に爆弾がしかけられていないか常にチェックしていたし……。ここまでこじれてしまったら、元の鞘に戻って両民族が融合することなんて難しいと思う」
そんなアブドゥラマンに片山直樹は質問した。
「アブにとって政治ってなんなの?」
するとアブドゥラマンは血相を変えて叫んだ。
「私にとっての政治はネジールだ!それがすべてだ!」
『すべてに優先されるのは我が子の命だ』という父の切実な思いであった……。
むかえた11月、最終的な検査の結果が出た。来日から4ヶ月、ネジールくんの左目の腫瘍はレーザーですべておさえこまれ、眼底検査でもMRI画像診断でも腫瘍はほぼ完治していることが確認された。
ネジールくんの命は救われたのである……!遠くコソボから人々から人々へと引き継がれたバトンによって。それは誰ひとりが欠けても起こりなかった奇跡であった。
しかし手術の完了は、シニック家の紛争地帯への帰国も意味していた。今回の来日はあくまで国際社会貢献の特別措置であり、シニック家はこれ以上の日本への滞在はできなかった。1999年11月17日、ネジールくんたちはコソボへと帰っていった。
翌12月、日本からコソボへ最新の検査機器が寄付された。これによってネジールくんは今後もきちんとした検査を受けることができる。しかし再発の可能性は0ではなく、さらに成長にともなって義眼が合わなくなる恐れもあった。金沢の人々にとって心配の種はつきることがないまま月日は流れていった。
そして2008年2月━━長い紛争に終止符が打たれ、コソボは独立を宣言した。果たしてネジールくんは無事に9年間を生き抜くことができているのだろうか……?