心の病を患い、なににも反応を示すことなく、ただただ死を待つばかりだったひとりの少女。その少女の心を開いたのはひとりの看護師の小さな愛のメッセージであった━━。
それから10年の月日が流れる━━。
かつて少女が入院していた病院の院長室をひとりの紳士がたずねてきた。彼は院長に向かって深刻な表情でこういった。
「娘のことをなんとかお願いできないでしょうか?」
重度の身体障害児を子供に持つこの男性は、娘の世話ができる人物を必死で探していたのだ。
「いくつか病院をまわったんですが、すべて断られてしまって……。やはり無理ですよね……」
表情を暗くしてそうつぶやく男性に、院長ははきはきとこういった。
「お引き受けします」
「え!?」顔をあげて驚愕する男性。
そして院長はひとりの女性を院長室に呼び寄せた。
院長に入ってきたのはサングラスをかけた若い女性。彼女は身体障害児の娘を持つ男性と笑顔で握手をかわした。
実は彼女こそ、かつて死を待つばかりだったあのときの少女だったのである。彼女はかつてとは見違える姿で院長室に登場した。
院長はいう。
「彼女ならまちがいないでしょう。まさに適任です」
そして相談にやってきた男性は激しく喜びを露にする。
「ハァ、よかった!これでヘレンも救われる!」
このとき、サングラスの女性は二十歳。そして彼女は自己紹介をする。
「よろしくお願いします。アニー・サリバンと申します」
そう。この女性こそ、わずか1歳にして光と音のない世界に突き落とされたヘレン・ケラーに50年の永きにわたって献身的に付き添い、家庭教師の代名詞となるあのサリバン先生だったのである。
サリバン先生といえばサングラス姿が有名だが、実は彼女は目の病気を患っており、目を保護する目的で常にサングラスをかけていたのだという。
……ある日の昼下がりの公園のベンチの上。サリバン先生は腕を振り回していうことをきこうとしないヘレン・ケラーに戸惑いを隠せない。しかしサリバン先生はヘレン・ケラーに常にこういいきかせ続けたという。
『大丈夫、あなたはひとりじゃないの!』━━それは自身が生まれ変わるきっかけとなったあの看護師のメッセージ。やがてヘレン・ケラーにサリバン先生の思いは伝わっていく……。
「ヘレン……?」サリバン先生はベンチで隣に座るヘレン・ケラーに目をやる。
ヘレン・ケラーはバケツの水の中にそっと手を入れ、小さな声でぎこちなくこうつぶやいた。
「……ウォー……ター……」
飛び上がるような歓喜に襲われるサリバン先生。
「そうよ!『ウォーター』、もう1度いってごらん!」
「……ウ、ウォー……ター……」
「ヘレン!」サリバン先生はヘレン・ケラーの名前を叫びながらヘレン・ケラーの小さな体を抱きしめた。
限りない慈愛と忍耐を持つサリバン先生。こうして再び奇跡が起きたのであった━━。
ちなみに“奇跡の人”といえば日本ではヘレン・ケラーのことだと思われがちだが、国際的には“奇跡の人”とはサリバン先生を指す言葉だとされている。
世界一有名な家庭教師の知られざる過去 終わり