今年、2011年も日本の芸能界では多くの大事件が巻き起こったが、中でもトップクラスの衝撃を日本列島に走らせたのが島田伸助の引退であろう。
数多くのレギュラーを抱えるお笑い界の帝王があまりに唐突に引退してしまったので、各局の番組は島田伸助の後釜司会者探しにこのうえなく当惑しながら奔走したことだろう。しかし、その一方で島田伸助の引退によって主役の座に躍り出ることができたタレントも多くいる。その代表格が≪なんでも鑑定団≫の新司会者の椅子をゲットした吉本の後輩、今田耕司だと思われる。
その今田耕司という人物はなにを隠そう、日本屈指の“善人芸人”なのである。
たとえば東日本大震災のとき、無数の芸能人、無数の有名人が寄付や募金活動をおこなったが、偽善者ばかりが顔を揃えた有名人の中、少なくとも今田耕司だけは純粋なやさしい心によって募金活動をおこなっていた人なのだ。その証拠をいくつかあげてみようと思う。
昔、TBSでダウンタウン司会の深夜番組が放送されており、その番組では毎週ゲストを招いてダウンタウンとトークをするコーナーがあった。
そのトークコーナー中、今田耕司をはじめとするダウンタウンファミリーの芸人たちは、後ろのセットの壁から顔だけを出してダウンタウンとゲストのトークに参加するという形で出演していた。
そのコーナーに野沢直子がゲストできたときのことである。
当時、まだ人気タレントとしてバリバリ活動していた森脇健児の話題が上がり、森脇健児を敵視していたダウンタウンとほかの芸人たちが“森脇健児罵倒”に花を咲かせたのだ。
そのとき、大阪時代に森脇健児と仕事をしたことがあるらしい今田耕司に『森脇健児は大阪時代は人気があったのか?』という質問が浴びせられた。
その質問に対してとった今田耕司の言動は、何度思い出しても壮大な感動の渦に引き込まれてしまう……。
『森脇健児は大阪では人気があったのか?』と訊かれた今田耕司は『人気は……ありましたよぉー』とぼそぼそといいながら顔をセットの壁の奥にひっこめてしまったのだ。
この行動がなにを意味するか?それなりの友情で結ばれた旧友の森脇健児罵倒にくわわらないようにするべく、軽いジョークをまじえながらその場から姿を消したというわけなのだ。
ほかの芸人たちのように森脇健児罵倒に適当に参加していれば、親分のダウンタウンからきらわれずに済んだのは無論のこと。しかし、ダウンタウンにきらわれるリスクをあえて承知して、旧友の森脇健児を苦しめないようにするべくトークの場から去ったというわけなのである。実に泣かせる話ではないか。
また、かつてフジテレビで放送されていた≪学校では教えてくれないこと≫という番組でのこと。
俳優の袴田吉彦がフリップの文を読むシーンがあったのだが、どうも朗読が不得意らしくつっかえつっかえしたぎこちない読み方になってしまっていた。
それに不機嫌になった共演者の神田うのが袴田吉彦に向かって『もっとちゃんと読めないの!?』とつっかかったのだ。その神田うののいい方に袴田吉彦はマジでムカッときたらしく、手で机をバンとたたきながら椅子から立ち上がったのだ。
と、そのときである。共演者の今田耕司が袴田吉彦に陽気な口調でこのようなことをいったのだ。
「それじゃあ袴田くん、今の文をもう1度はじめからスラスラッと読んでみようか!」
スタジオ内を支配しようとしていた神田うのと袴田吉彦の険悪なムードを、今田耕司がジョークをまじえて和ませようとしたのだ。
こうした言動をひとつひとつ思い出すたびに、今田耕司のやさしく清らかな人間性が強く伝わってくる。
━━東日本大震災のときに募金活動をおこなった無数の有名人たち。そのうちの95%が偽善者だったと思われるが、少なくとも、今田耕司というお笑いタレントだけは、純粋なやさしさや正義感から募金活動をおこなっていたのだということを被災地の人たちにわかってもらいたい。