メシアが全世界の教育者たちに捧ぐ 新世界教育法~背の高い子供編~ | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 わたくしメシアの現在の身長は測ったことはないが、おそらく185センチ前後はあると思う。そのため保育園の頃から縦に一列に並ぶ際は常に1番後ろで、会う人会う人に必ず真っ先に高身長のことを話題にされた。私はそのたびに不愉快に、憂鬱になったものだった。

 

 
 一般的に高身長というのは憧れの対象になっているらしく、“背が高い人はカッコイイ”といったイメージが定着しているみたいだ。そして私の前にあらわれる人たちは誉め言葉のつもりで私の高身長を口にするのだろうが、私は高身長のことを口にされても微塵も嬉しくはなかった。

 

 
 背が高いがゆえに得したことなど1度もないし、それどころか『なぜもっと背が低く生まれなかったんだろうか……』と何回思ったことか……。

 

 
 高身長の人間というのはその容姿、印象から━━【気が強くて、社交的で、行動力もあって、なんでもできる生まれながらにしてのリーダー】━━といったイメージを勝手に抱かれてしまうのだ。しかし、勝手にそんなイメージを抱かれて、勝手に多大な期待を寄せられても困ってしまう。

 

 
 私はたしかに頭が良くて運動神経が良くて芸術的才能もあるカッコイイ男ではあるが、残念ながら気は小さいし行動力もないしリーダーシップもまったくない人間だ。それにもかかわらず周囲がアホみたいに『彼は背が高いからなんでもできるんだ!背が高いからリーダーなんだ!』と騒ぎたて、いつの間にかすべての責任が覆いかぶさってくるポジションに置かれてしまうのである。そして期待に応えられなかったら幻滅して顔をそむけて離れていってしまうのだ。

 

 
 周りの子たちより飛び抜けて背の高い子供は世界中に無数にいると思うが、そのうちのほとんどの子がそのような経験をしたことがあるのではないだろうか?

 

 
 たしかに中には気が強くて社交的で行動力があって、なんでもできる生まれながらにしての背の高いリーダーは多くいることだろう。しかし背が高い子供全員がそういう人間であるわけがなく、中には気弱で内向的で人の上に立つのが性にあわない子供もいるのだ。そこで世界中の親や学校の先生をはじめとする大人たちにいいたい。

 

 
 もしもあなたの身近に背の高い子供がいた場合、その子が背が高いことを口にされて喜ぶリーダー的な子なのか、それとも背が高いことを口にされると憂鬱になるタイプの子なのか、その点を冷静に見極めてから背の高さを話題にするかどうかを判断してもらいたい。

 

 

 

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