メシアが全世界の教育者たちに捧ぐ 新世界教育法~勝負とは負ければ負けるほどおもしろい~ | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 2010年、南アフリカで開催されたサッカーのワールドカップ。日本のベスト16入りがまだ記憶に新しいところだが、サッカー王国と呼ばれるブラジルは2006年に続きまたも決勝進出を逃してしまった。

 

 
 特に2006年大会は当時、世界ナンバーワンプレイヤーといわれたロナウジーニョがおり、大会前から群を抜いた優勝候補として君臨していた。しかし結果はベスト8止まり。それによるブラジル国民の怒りと不満が爆発し、ロナウジーニョの写真などが燃やされてしまうほどであった。

 

 
 これは2006年大会に限ったことではなく、毎回優勝が義務付けられているサッカーブラジル代表の監督というのは、優勝できなかった場合ブラジル国民から命を狙われることもあるのだという。

 

 
 しかし、私はそうしたブラジル国民も価値観や神経がまったく理解できない……。

 

 
 また、子供の頃のことである。夜、メシア家に母の知り合いがやってきたときのことだ。テレビをつけるとちょうどプロ野球の巨人戦が放送されており、巨人が劣勢に立たされている状況だった。

 

 
 それを見た巨人ファンらしい母の知り合いがテレビを睨みつけながらこういったのだ。

 

 
 「相手チームのやつら、ぶん殴ってやりたいね!まったく!!」

 

 
 ……いわゆる巨人びいきの人なのだろうが、なぜに巨人を負かしている相手チームの選手たちをぶん殴ってやりたいのかまったく理解ができない……。

 

 
 自分の国をワールドカップ優勝に導けなかった選手や監督に激怒するブラジルの人たち……。

 

 
 応援する巨人を負かす相手チームを憎悪する巨人びいきの人たち……。

 

 
 彼らはなぜ怒りや憎しみに襲われるのか?もしも相手チームが卑怯な手を使ったりしたならばその感情もわかるが、ワールドカップにしても日本のプロ野球にしてけっしてそういうわけではない。それだというのになぜ理不尽な怒りに駆られてしまうのか?

 

 
 答えは彼らの目的が“ただ勝つことのみだから”である。

 

 
 ただ、とにかく、勝ちさえすればそれだけで最高、それだけで満足、それだけでハッピーなタイプの人間たちなのだ。彼らはサッカーというスポーツを、野球というスポーツを楽しんでいるわけでもなんでもなく、応援するチームが勝っている姿を見ることのみを楽しみにしている人たちなのである。なんと単純脳味噌なかわいそうな人たちであろうか……。

 

 
 彼らにわたくしメシアが教えてあげよう。スポーツにしても格闘技にしてもテーブルゲームにしても、勝負事というのは負ければ負けるほどおもしろいものなのだ。負けたなら『では、どうすれば勝つことができるのか?』という“知的な楽しみ”が増えるではないか。

 

 
 相手が強ければ強いほど、勝つことが難しければ難しいほど“知的な楽しみ”は倍増する。ワールドカップで優勝できなかったのなら、ではチームのどういったところを改善すればいいのか?相手チームとどのように戦えばいいのか?そうした“知的な楽しみ”が無限に増える。それによって頭を使う快楽を味わえるというわけなのだ。

 

 
 ゴルフにしても池やれ林やれバンカーやれ、様々な障害があるからこそやりがいがあっておもしろいのである。なんの障害もない、ただのまっすぐなコースでゴルフをやって楽しめる人がいるだろうか?いないはずである。ゴルフボールをホールに入れるのが難しいからこそおもしろいのであり、『どのようにして苦難を打開してボールをホールに近づけようか?』という“知的な楽しみ”を味わえるのだ。

 

 
 勝負とは負ければ負けるほどおもしろく、相手が強ければ強いほどおもしろく、勝つことが難しければ難しいほどおもしろいのである。これから世界中の教育者たちには、子供たちにその事実を教えてあげていってもらいたい。

 

 

 

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