小学生5年生くらいの頃の遠足のときの話である。プラネタリウムを観に行ったのだが、途中ひとりの生徒が代表として選ばれ、星座の名前にあった星を棒かなにかで指し示すというものがおこなわれた。
その代表の生徒に向かって、私はふざけ半分で大声でこういった。
「メチャクチャにやっちゃえ!」
次の瞬間である。私の後頭部に鋭い張り手が喰らわされたのだ。
振り向くとそこには担任の女性教師の鬼の形相が待ち構えていた……。
たしかに私は不真面目な言動をとったかもれしないが、頭をたたかれたことで『自分は悪いことをしてしまったんだな……』といった反省の感情は微塵も湧きはしなかった。
『なんだよ。俺はいえばわかる知的な人間なんだ。限度を知っている知的な人間なんだ。ちょっとふざけたことを口にしたくらいで、なにも後ろから頭をぶつことないじゃないか……』━━当時の私の胸にはこうした憤りとわだかまりの感情しか湧くことはなかった。
また、小学4年生くらいの頃の理科の時間のことである。その日は理科室でマッチ棒による火を使った実験をしたのだが、同じ班の少年Aくん(仮名)が実験とは別にマッチ棒の火を使ってちょっとした悪ふざけをしたのである。
それが担任の男性教師に見つかり、Aくんは服をめくられて腰のあたりをバシン!と思いきりたたかれた。
が、Aくんもまた、私と同じように反省の感情は湧かなかったと思われる。『なにもたたくことないじゃないか……』といった感じの得心のいかない暗い表情になっていた。
悪いことをした生徒、不愉快なことをした生徒、迷惑なことをした生徒━━場合によっては彼らの顔なり頭なりをひっぱたいて体罰を与える必要もあるだろう。しかし、わざわざたたくまでもなく、言葉で注意するだけですんなりと反省をするたぐいの子供たちも多くいるのである。
では、いえばわかる子とたたかなければわからない子はどうやって見極めればいいのか?方法はいたって簡単。“顔”で判断すればいいのだ。
『えぇっ!?』と思われるかもしれないが、これは意外に真実をついている。
前述したAくん。彼はマッチ棒の火で軽い悪ふざけをしたことで先生に体をたたかれたわけなのだが、Aくんにそんなことをする必要はなかった。なぜそういえるのか?Aくんの顔には明らかに知性と品が漂っていたからである。
私とAくんは当時よく遊んだりしていた仲だったのだが、Aくんはその顔どおりの真面目で知的で上品なやつだった。マッチ棒による悪ふざけにしても、あくまでちょっとしたジョークである。学校が火事になったり、体にヤケドを負ったり、そうした大惨事になるまで火を大きくするようなへまはけっしてやらかさないやつだと断言できる。
先生も担任なわけなのだから、Aくんがどういう性格のどういう人間かはある程度把握しているはずである。私が先生の立場だったらAくんにこういっていた。
「マッチ棒で遊んでるのか?ちょっとした悪ふざけかもしれないけど、火は1歩まちがえるとすごく危険だから2度とやってはダメだぞ」
……こうした注意をされていたなら、Aくんはぜったいに素直にいうことを聞いて反省していたはずである。胸の中に怒りも不満も湧くことはない。たたく必要などまったくなかったのだ。
たたく必要がある子というのは、顔からしていかにも不真面目でふざけた印象のあるやつである。
けっしてブサイクなやつのことをいっているわけではない。たとえブサイクでも性格が真面目で知的で上品なら、自然とそれらが顔や雰囲気ににじみ出てくるものだ。たたく必要がある子というのは、顔にも雰囲気にもそうしたものがまったく感じられないやつである。そういうやつは口でいってもわからないので、いっぺん痛い思いをさせる必要があるのだ。
生徒が悪いことをした。たたくべきか口で注意すべきか?葛藤にもがく先生は多くいると思われるが、これからは生徒の“顔”をよく見て判断してもらいたい。