人気アイドルグループ、ベリーズ工房のヒット曲に≪恋の呪縛≫というものがある。そのプロモーションビデオのメイキング映像に、とある奇々怪々なシーンがあるのだ。
それはメイキング映像の後半のこと。撮影を終了し終えたベリーズ工房のメンバーたちが、スタッフに向かって頭を下げながらこういっていたのだ。
「おつかれさまでした」
……『おつかれさまでした』━━それはいい。仕事を終えてからのあいさつは一応常識なのだから。問題なのは『おつかれさまでした』をいう回数である。
ベリーズ工房のメンバーたちはスタッフに向かって数えきれないくらい頭を下げながら『おつかれさまでした』を連呼し続けていたのだ。ちゃんと数えたことはないが、映像におさまっていない場所での回数も含めると100回近くにのぼるのではないだろうか?
おつかれさまでした━━このあいさつをなぜ100回もくり返さなければならないのだろうか?
仕事が終わる。
全員が一カ所に集合する。
全員が声を揃えて『おつかれさまでした』という。
……そのたった1回だけで充分ではないだろうか?そして仕事を終えた人々はその日はそれから2度と『おつかれさまでした』という言葉を口にすることなく、ある人たちは仲間同士で談笑しながら、孤独を愛する人はひとりで帰路につけばいいのである。
『おつかれさまでした』を何十回も何百回も口にする必要など微塵もありはしない。完全なるナンセンス、完全なる不合理である。もしも私のこの意見を論破できる人がいるというのなら論破してもらいたい。
『おつかれさまでした』というあいさつを何十回も何百回もいわなければならない暗黙のルールを、何時代の誰がいつ確立したのかは知らないが、くり返すようにただ面倒臭いだけでなんの意味も見出せない。これからはこのへんの常識を根本から改善し、教育者たちには子供たちに『おつかれさまでした』は1回だけで充分なのだということを教えるようにしてもらいたい。
もっといってしまうと、『おつかれさまでした』というあいさつすら消滅するのが私の理想だ。
仕事が終わったとする。そして社員たちが軽く手をあげて『じゃあ』とでもいって帰路をつけばいいのではないだろうか?なぜいちいち『おつかれさまでした』などといわなくてはならないのだ?
そもそもアメリカなどにはそうした慣習はないらしく、『おつかれさまでした』というのは日本特有のものらしい。
究極の理想は『おつかれさまでした』などといちいちいわなくて済む社会である。しかし、民族の気質的に難しいようならば、仕事を終えたあとの『おつかれさまでした』は1回だけにしてもらいたい。