私が小学生の頃のことである。音楽の先生は普段は女性の先生だったのだが、なんらかの事情でしばらく学校を離れることになり、その間新しく教師の一員になった50歳くらいの男性が音楽の先生をつとめることになった。
その記念すべき1回目の授業の際、ちょっとした事件が起きたのだ。
先生が授業の終わり際、『今日、学んだ歌を代表してうたってくれる人はいないかな?』と生徒たちに問いかけたのである。しかし突然のことにみんな呆気にとられるばかりで、挙手をして立ち上がって歌をうたい出すような生徒はなかなかあらわれない。
最終的にひとりの女子生徒が勇敢にみずから挙手をして、たったひとり立ち上がって歌をうたうことになったのだが、その女子生徒の歌が終了してから先生は深いため息まじりにこのようなことをいったのである。
「……なんで歌をうたう人がたったひとりだけなんだろうか?みんなが手をあげて『僕にうたわせてください、私にうたわせてください』といって、最終的にみんなでうたうような展開になってほしかったのに……」
━━私は先生のこの発言を耳にして呆然とするしかなかった。青春映画の観すぎにもほどがある。そんなことが現実に起こるわけがないことは、当時小学生だった私たちでさえ充分すぎるほどよくわかっていることだ。そんな非現実的なドラマティックな展開を本気で期待していたとは、逆にこちらが深いため息をつきたいものである。
結局、先生の期待に応えられなかった私たちは、なにか悪いことでもしたかのような後味の悪い不快感に包まれながら音楽室をあとにするしかなかった……。
が、生徒の私たちに落ち度などなにもない。大昔の青春映画のような展開を期待し、さらにその期待が裏切られたことを口にした先生こそが反省をすべきなのだ。私たちはなにも不道徳なことも不真面目なこともしていないというのに、不快な罪悪感に襲われることになってしまったのである。先生にはその罪を謝罪してもらいたいものだ。
それに世の中は自分の思いどおりにいかないことばかりである。しかし思いどおりにいかない現実に不平をいわず、忍従する精神を教えるのが教育者の役目なはずだ。それだというのになぜ生徒が期待に応えてくれなかったという理由で不平不満を吐いたりするのか?傲慢もはなはだしい。
常に先生の期待に答えられる完璧な生徒などいない。人間とはみんな不完全なものなのだ。50年も60年も生きていながら、音楽の先生のピンチヒッターをおこなった男性教師はそんなこともわかっていなかったようである。
夢や理想を持つのは悪いことではない。しかし叶わない夢のほうが、現実にならない理想のほうが圧倒的に多いのだから、期待を寄せた生徒が期待に応えてくれなかったとしても不平不満をこぼすようなことはしてはいけないのである。