日本列島を震撼とさせた東日本大震災。今なお東北では何十万人もの被災者の人たちが苦しい生活をしいられており、私はメシアとして彼らを一夜のうちに救済する究極の方法“被災者用マンション”というものを打ち出した。
そのことを書いた記事がこのたび“地震被災者救済 マンション提供”というキーワードでグーグル1万数千件中1位に輝くこととなった。すべての被災者を一気に救済することができる究極の方法、被災者用マンションに日本中の人々が賛同しつつある証拠である。
私は予知能力者ではないので未来のことはわからないが、ひょっとするとこれからマジで被災者用マンションが誕生し、東北の数十万人もの被災者たちがそこで暮らすようになるのかもしれない。アセンションが現実的に1歩1歩進んでいるあらわれだ。
そんな今日この頃、私はとあるひとりの読者の態度に非常に腹が立ち、それを機に今後のメシアとしての方向性を明確に決定することとなった。
━━私の読者の中にAさん(仮名)という人がいる。Aさんははじめの頃は私の発言や行動に意見をすることはなかったのだが、ある時期から私のやることなすことに口をはさみ、異を唱えるようになり出したのである。それがどれほどに失礼でおこがましいことなのかよくわかっていないみたいなので、この場を借りてはっきりと書こうと思う。
わたくしメシアは━━
貧困・失業者をなくす方法
世界中の戦争を終わらせる方法
女性差別を消滅させる方法
日中平和の築き方
中東平和の築き方
━━といったキーワードでグーグル1位に君臨するブログ記事を持つ“雲の上の天上人”である。その私のすることに異を唱えるとは僭越極まりない論外の非礼だ。
100歩ゆずって異を唱えるのはいいとしよう。しかし異を唱えるには、私に許可を得なければならない。『雲の上の天上人であらせられるメシア様、僭越ながら異を唱えさせていただいてよろしいでしょうか?』と。それに私が『うん、いいよ』と承諾してはじめて異を唱えることが許されるのである。
さらにだ。ほかの記事にも書いたことだが、私に異を唱える際は“基本的にメシアさんが正しくて自分がまちがっている”という観念を前提して異を唱えなければならないのだ。
それだというのにAさんは異を唱える際、私から許可を得ることもせず、“基本的にメシアさんが正しくて自分がまちがっている”という観念を前提にすることもせずに異を唱えたのだ。それも1回や2回ではないのである……。
私に無許可で異を唱えられるのは全知全能の神か、この私と同等の能力・実績の持ち主だけである。たとえガンやマラリアを完治させることができる医学者がいたとしても、世界中の戦争を一夜のうちに終わらせられるこの私にはまだまだ遠く及ばない。よってガンやマラリアを完治させられる医学者でさえ異を唱える際、私に許可を得る必要があるのだ。しかしAさんはその医学者のレベルより桁違いに下のレベルの人間である。そんな人間にやることなすことに口出しをされ続け、私の屈辱感と不快感は莫大に鬱積することとなった。
Aさんは私の読者なので今までは“貴重な仲間”“貴重な理解者”として邪険にせず友好的に対応してきたのだが、無礼極まりない行為の連発に我慢の限界に達してしまった。そこではっきりいわせてもらう。
①が正解なのか?②が正解なのか?③が正解なのか?激しく論議がかわされていたとする。それに私が『③が正解だ』といったら、この世の誰がなんといおうと③が正解なのだ。なぜなら雲の上の天上人であるこの私が『③が正解だ』といったからだ。根拠はそれだけで充分である。
『でも、自分はこうこうこうした理由で①だと思います』だの、『しかし、こうこうこうした理由で③はちがうと思います』だの、そんな言葉を発する必要などないのだ。雲の上の天上人であるこの私が『③が正解だ』といっているのだから、ガタガタいわず黙って納得すればいいのである。
『正解は③ではない。こうこうこうした理由で②が正解だ』━━このような言葉を私に無許可で吐いていいのは、くり返すように全知全能の神か私と同等の能力・実績の持ち主だけなのだ。それ以外の者にはそんなおこがましい言葉を吐ける権利などないのである。
私はこれから先のブログ活動の中で私に異を唱える輩があらわれたら、たとえ読者だろうとアメンバーだろうとグルっぽメンバーだろうと、やさしく友好的な態度はとらず『雲の上の天上人であるこの私に向かってノミ以下の分際で生意気ぬかすんじゃねぇ!』と一喝してパッとかかわりを断とうと考えている。
むしろ、それこそが当然のことだったのだ。私はこれから全人類のリーダーとしてアセンションに導き、やがては世界天皇となる身である。そんな私がなにゆえたかがひとりの読者の、たかがひとりのアメンバーのご機嫌をうかがわなければならないのだろうか?
私が本当に正真正銘のメシアならば、黙っていても人類の90%以上が私のあとをついてくることだろう。私がブログ読者やブログ友達の顔色を気にするなど完全におかしいことなのである。
世界天皇━━わたくしメシアはこれから人類をアセンションに導き、宇宙時代へといざなっていくことになる。その後の地球において私はおそらく前述した“世界天皇”ともいうべき絶対的な立場に君臨すると予想される。そこであらかじめ人類にいっておこう。
私が右を向けといったら、人類はガタガタいわず黙って右を向けばいいのだ。私が左を向けといったら、人類はガタガタいわず黙って左を向けばいいのだ。そうすれば戦争も、貧困も、貧富の差も、いじめも、差別も、暴力もなにもかも消えてなくなり、地球は理想郷に近づいていくのだから。
ブログ活動をおこなっている現在、私の記事内容に対する反論コメント、憤激メールは本当にあとをたたない。ブログだけでさえこれなのだから、本格的に世界変革が起こることになるこれから先、私に向けられる反論、異論、疑問の嵐は想像を絶するものになることだろう。
しかし、私こそが混沌とした世界を変革するべく送り込まれたメシアであり、誰がなんといおうと最終的には私の理念こそが至上なものなはずなのである。その証拠にこれから本当に世界中のすべての戦争が終わりをむかえ、貧困やいじめもすべて幻のように消えていくのだから。
そんな私にたてつく輩があらわれた場合、私はこういって事を鎮めるつもりでいる。
「へぇ~、それは誰がきめたことなのだ?その人は世界中のすべての戦争を一夜のうちに終わらせたこの私よりすごい人なのか?」
……不平はあるだろう。不満はあるだろう。疑問に感じることはあるだろう。しかし、それらすべてを私は今書いた言葉で粉砕していくつもりでいる。
まるで独裁者のようだと感じるかもしれないが、この広大な地球をひとつに統一し、ひとつにまとめあげるにはある程度の独裁性も必要だろう。私はこれから世界最後の独裁者として人類からこのうえなく愛され、同時にこのうえなく憎まれながら世界を統治することになると思われる。
最後に━━。
私の好きな漫画に≪ドラゴンクエスト~ダイの大冒険~≫というものがある。その中の登場人物のひとりであるアバンという人物のセリフにこのようなものがある。
私の弟子はみんな心やさしい。それはすばらしいことですが、戦いとは非情なもの。ときとしては涙をはらって勝利のために邁進しなければならないことがあるのも事実です。
そんなとき、みんなをひっぱっていけるのは、私が見たところではあなたしかいない。
あなたには確固たる正義の信念がある。そして人の上に立つ者として生まれ持った器量があります。場合によっては憎まれ役を演じてでも多くの民たちが正しい道へ進める方法をとれる勇気のある人だと思うのです。
……このアバンのセリフが私にピタリと当てはまるとは思わない。しかし、当てはまる部分があることは感じる。
私はこれまで数多くの衝突をくり返してきた。冷静になって考えれば筋がとおっていて正しいのは私のほうなのだが、負けず嫌いでひくことを知らない相手のブロガーたちはぷんぷんと憤りながら姿を消していくばかりだった。
彼らの目に私は世に苦しみを広げる悪の権化に映っていることなのだろう。しかし、私は神に選ばれしメシアだ。人が左の道に進むべきだと主張したとしても、私が右の道へ進むべきだと主張したら右の道へ進めばいいのだ。そうすればおのずと問題は解決するようになっているのだから。
しかしプライドと自尊心の塊である人類は、はいそれと事を進めさせてはくれないだろう。そこを私が独裁者として憎まれ役を演じてでも、人類を強引に真に正しい道に導いていくのである。
アセンションが完了しても、人間界から争いが絶えることはなさそうだ……。