頭にくる中傷メールや中傷コメントはずっと以前から恒久的に送りつけられてきたが、中傷メール・コメント以上に頭にくるたぐいのメール・コメントというのがあるのだ。それこそ反論メール・コメントである。
先日、私のとある記事にこのようなコメントが送られてきた。
想念で食べ物すら生み出せない世界なんて、アセンションした世界とは思えないです。
ディセンションした世界なら物々交換はあり得ると思います。
……このコメントは厳密には≪メシアが偽クリスタル・チルドレンを斬る!パート③≫という記事に送られたものだが、“貧困・失業者をなくす方法”というキーワードでグーグル、ヤフー検索結果1位に輝いた私の記事≪世界中のすべての貧困・失業者・経済的不公平を一夜のうちに消滅させる新世界観≫
に対しての批判も込めたコメントだと思われる。
私の貧困をなくす新世界観はくり返すように、グーグルとヤフーの検索結果1位に輝いた記事だ。それも“貧困・失業者をなくす方法”などという壮絶なるとてつもないキーワードでである。
まだ私の新世界観は法律化されていないので、実際に世界から貧困や失業者はなくなってはいないものの、“貧困・失業者をなくす方法”なるキーワードでブログ記事が1位に輝いたというだけでも歴史的な快挙といっていいだろう。そう。わたくしメシアはもうすでに“歴史的人物”なのである。その私に一介の凡人がなにゆえ反論などというものができるのだろうか?
『その考えのこうこうこうしたところがちがうと思うのですが、自分はまちがっているんでしょうか?』━━こうした謙虚な文体による質問・疑問ならまだしも、いったいどんな偉大な実績を持って、いったいどんな偉大な立場から“歴史的人物”であるこの私に反論などというおこがましいことをしているのだろうか?
たとえば、とある韓国人ブロガーにこのようなことをいわれたとする。
「私は韓国のネット界で“貧困・失業者をなくす方法”というキーワードでグーグル、ヤフー検索結果1位に君臨するブログ記事を持つ歴史的人物なんですが、あなたの考えのこうこうこうしたところがこうこうこうした理由でまちがっていると思います」
……同等の実績、同等の立場の歴史的人物にそういわれたのならむかつきは湧かないし、本当にまちがっていたのなら素直にまちがいを認めることだろう。
が━━私に反論メール・コメントを送ってくる人間の中に、私と同等の実績・立場を持つ歴史的人物などたったのひとりもいない。私とは天と地ほどの開きのある愚民ばかりだ。彼らに雲の上の歴史的人物であるこの私に反論できる資格などない。
これまでにも何回かいってきたが、メシアの私にも100点満点の正解を出すことは不可能である。必ずなんらかの欠点、なんらかの弱点が少なからずあるのだ。それらに対して疑問の感情が湧いたなら、反論のメール・コメントなどではなくあくまで謙虚な姿勢で“質問”というものをおこなってもらいたい。