私の信条にこのようなものがある。
『10のあざけりを受けたら、20、30のあざけりでお返しする』
つまりイエス・キリストの『右の頬を打たれたら左の頬をも差し出さなさい』の逆の理念だ。
その理念を貫くべく、私はMYBのアホ隊員たち(昔でいう“荒らし”のこと)から送られた迷惑コメントを記事にしてシニカル論破をおこない続けていた。
そんな私の方向性に疑問を持つらしい飯屋さんという人が、第1次アメブロ聖戦中私と敵対していたパントさんという人のブログコメント欄にこのようなコメントを入れていた。
「理由はどうあれ、悪口に悪口で対抗するのはまちがっていると思います」
……そんな崇高な理念の持ち主が、なぜ“飯屋”などというニックネームで私の揚げ足を取ったりするのだ?完全に矛盾である。
それにそうした意見は私に対していえばいいではないか。なぜパントさんのブログコメント欄の中で、パントさんに対していうようにコメントしているのだ?私に対する疑問なら、私に向っていえばいいはずである。
無論、URL非公開コメントではなく、正体を明かしたプチメによって。
そして納得がいくまで私と論争を続ければいいではないか。本物のメシアであるこの私が究極の答えを教えてあげるから。
しかしいつまでたっても私のところにプチメをしないところを見ると、飯屋さんには私とタイマンで論争をする度胸はないのだろう。
また飯屋さんは前述したように『悪口に悪口で対抗するのはまちがっている』という理念の持ち主らしいが、悪口に悪口で対抗していた私に“真似事記事”という悪口記事で対抗していたパントさんにはなんの疑問も違和感も抱かなかったのだろうか?
このように飯屋さんの言動というのは、なにからなにまで矛盾、矛盾、矛盾なのである。
余談だが、私のニックネームはメシヤではなくメシアである。
どうやら飯屋さんは小学校でカタカナを学ばなかったようである。