前回:Ⅱ-(47)
「オリエンタルランドの設立」
故人である川崎千春さんが、オリエンタルランドの初代社長です。
当時、川崎さんは、京成電鉄の社長も務めていました。
この浦安の「沖の百万坪(遠浅の海)」という海を埋め立て、一大レジャーランドを建設したいと当時から夢見ていたようです。特に米国の「ディズニーランド」を誘致したいと考えていました。
スライドを使って、埋め立て交渉を担当した高橋さんに語っていたと聞いたことがあります。
もちろん、私が直接お話ししたことはありませんので、間接的に聞いた話を思い出しながら、どんな人物だったか、多少私のイメージを加えて、お話ししましょう。
お写真を拝見すると、面長でメガネの奥に見える目が涼しく、優しいという印象があります。そして、全体の風貌も温厚な方に見えます。芸術的なセンスに優れた方で、千葉県八千代にある「京成バラ園」を開演させたのも川崎さんと伺っています。
大変有名な話ですが、故人である高橋政知さんが埋め立て交渉を浦安の漁業関係者とした時、けちけちした接待ではなく料亭を使って口説き落としていたようです。当然、領収書が束のようになります。その束になった領収書を川崎さんの前に出すと、川崎さんは印鑑を黙々と押しながら「大いにやってください」と声をかけたそうです。大きな人物ですね。
高橋さんも同じように感じ、リーダーとはさもありなんと。言葉だけではなく、部下に対するこのような行動が、信頼関係を創るのでしょう。
その後、オイルショックによる日本経済の打撃を京成電鉄も受けて、オリエンタルランドの社長を退き、電鉄本業に戻ります。
しかし、川崎さんのディズニーランドを誘致したいという夢がなければ、浦安の埋め立てはなかったわけです。そして、現在の東京ディズニーリゾートもありませんでした。
当時、ディズニーランドを誘致することは、まさに夢のようなことです。
「しかし、たった一人の男の夢が、紡がれ、現実にすることができる」
たくさんのことを教えられているような気がします。
To be continue
【次回 ディズニー大学との出会いⅡ-(49)「江戸英雄さんの人物鑑定」
】
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