へそ曲がり! そうなのだ、私はへそ曲がりなのだ。

みんなと同じなら、取り敢えず安心というのが嫌い!

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な悪いことにしろ、良いことにしろ、

周囲の人たちの歩調に合わせていれば丸く収まる的な・・・・・それに甘んじることが嫌いなのだ。

もちろん年を重ねて、いつもへそ曲がりばかりを言っていれば、和が保てないことを、

時には自分の気持ちや主張を譲り、妥協しなければ、相手の気持ちを傷つけることがあることを悟り、

世渡りの術に長けてきたことは否めない。


3・11が近づけば、マスコミの取り上げる震災記事の量が増える。

ブログにだって、3・11に寄せる思いをたくさんの人が書くだろう。

だからこそ、「右へ倣え」するかのように、震災記事を書きたくないと思っていたのだ。







栃木県も被災県だ。全壊・半壊した多数の住居、亡くなった方もいる。

放射能汚染された土地、農作物の出荷停止、風評被害による観光客の激減、・・・・etc

しかし、わが家に関して言えば、

岩盤が強い土地に建つ家であったために、生活に支障をきたすような大きな被害はなく

農業や観光業に携わっているわけでもないため、被災したという意識は低い。

だから、負の記念日が来たから、この日を風化させてはいけないからと、

この未曾有の出来事に対して、未だに山積み状態のままの多くの問題に対して、

被災された方々への憐憫の情だけで、揺さぶられるような感情なくして、

「お気の毒に」 「頑張って」 「絆」 「忘れない」・・・・そのような類の言葉を羅列するのも躊躇われた。

偽善者にはなりたくないと思ったのだ。




もちろん、多くの人命や故郷が失われ、言葉に尽くせないほどの

辛く、悲しい衝撃的な災害であったことは忘れはしない。

だが今、どれだけ、被災者の方々に寄り添う気持ちでいるだろうか。

ややもすると自分や家族の幸せが優先の生活で、悲しい出来事はいつしか頭の片隅に追いやられ、

TVや新聞で話題になった時、災害を思い出し考える。そしてまた頭の隅に。

そんな今の自分を知っているから、記事にする資格はないとも思っていた。




だが、今こうして、昨日から二日がかりで記事にしている。

記事にしたいと強い思いに駆られた出来事が、いくつかあったのだ。






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(その1) 庭の雪融けが進んだ部分で、一昨日、衝撃を受けた。



バラ:ピンクサクリーナ        こともあろうに、


             この大切なピンクサクリーナの根元に、カミキリムシが・・・・・・。





バラ:ピンクサクリーナ   バラ:ピンクサクリーナ





秋ごろから、元気をなくしているようには思っていたのだが、よもや・・・・・・。

てっぺんの枝がわずかに見えるほどまでに積もった雪が融けたので、

積雪による被害状況をチェックしていた、初めて気づいた。







バラ:ピンクサクリーナ このピンクサクリーナには、

                                        特別の思い入れがある。



今はなき、福島県双葉町の双葉バラ園から連れてきたバラ。私に使命感をもたらしたバラ。

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この内容に関しては、一昨年の7月に記事にしています。

興味がある方は下にリンクを貼りましたので読んでください。


             ピンクサクリーナについての記事「三つの薔薇物語 Ⅲ」

                             「三つの薔薇物語 Ⅲ 続編」



ショックは大きかったが、幸いにもベーサルシュートが一本無事であった。






バラ:ピンクサクリーナ






(その2)  昨日の地方紙朝刊のコラム蘭で、次のような記事を読んだ



 『あの3・11直後、宇都宮市内の企業経営者一家が知人らに声を掛け、独自に被災地救援を始めた。救援先は3県のうち宇都宮市から最も遠い岩手県の釜石市。目指したのはボランティアの姿が見えない地域だ。
 「マスコミが取り上げた被災地にはボランティアが大勢いるが、私らのところには誰も来ない。」と地元住民は嘆いた。ニュースに出ない「救援の孤島」。救援物資は瞬く間に消えたという。
 救援活動の第1次報告会。「私たちは5年でも10年でも支援を続ける」と社長は宣言した。本気なのか、と耳を疑った。本気だった。
 社長は間もなく自社工場に隣接する荒れ地を借り受け、ボランティアとともに開墾し、40種もの野菜の種をまいた。草むしりや収穫作業に携わったボランティアは延べ4500人。その野菜を積んだワゴン車が被災地に向かった回数は既に81回。今月も出かける。
 「まだやっているの」ときかれるたび、社長は震災の風化に胸を痛める。昨年3月、訳2700人を数えた震災関連死はこの1年で、3000人を超えた。災害公営住宅の建設も遅々として進まない。大震災はまだ進行中なのだ。
 我が家の庭で紅梅が三分咲きとなった。近寄ると春の匂いがする。しかし被災者には春3月は忌むべき地獄の季節だろう。私たちと同じ気分で梅の開花を喜ぶのはいつの日か。』
 
(下野新聞「雷鳴抄」2014.3.11)






バラ:ピンクサクリーナ






(その3)  朝、TVを見ていることはほとんどないのだが、

昨日、母との待ち合わせの時刻まで持て余した時間にスイッチを入れた。

目に飛び込んできたのは、NHK「あさイチ」、10代が見た震災3年

3年前の3月11日卒業式を控えていた被災地の中学3年生が、今再び高校卒業の季節を迎えた。

この3年間が多感な時期の彼らにどのように映ってきたのか。

そんな内容だった。見た方は多いことだろう。




トップで紹介された田畑祐梨さんは、震災語り部をしている。

全国に出かけて、自分が見て、感じてきた震災後の3年を多くの人に伝えている。

ずっと大人に頼ってきた自分が、自分に何かできることはないかと模索して見つけた震災ボランティア。

被災者として受け身になるのではなく、被災者として能動的に震災風化を防ぐためにできること。

彼女が同世代を前に語るときは、淡々とした話しぶりで、時には笑顔も浮かぶ。

彼女は言う。涙で話せば同情してもらえるのは分かっている。

だが、同情してもらいたいのではない、同情より共感してもらいたい

共感すれば、他人事としてではなく自分事として考えてもらえるから、と。

また、「ありがとう」を伝えたかった大好きな恩師が、

ありがとうを伝えようと思っていた日に津波で命を失ったことに大きな後悔を感じている。

だから、「ありがとう」や「大好きだよ」の言葉は後回しにしないでほしい、とも。






バラ:ピンクサクリーナ





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このような3つの事柄に出逢い、私にできることは何かともう一度考えさせられた。

思いを風化させないために、長続きできることは何か?

結局、一昨年前に考えたことに帰着した。




大震災に対する思いは人それぞれです。

震災復興支援への思いも、それへの関わり方も人それぞれです。

震災の記憶を継続することや関与の仕方・方法は、人それぞれでいいと思います。

自分が出来ることを 自分らしいやり方で、細くても長く続けたい。

気張らずに、驕ることなく、自己満足に陥ることなく、自然体で続けたい。

私にふさわしいやり方、心を込められるやり方、それは、

my kizunaを守り育てること。そして、チャリティーローズ「絆」と共に、

このささやかな庭でゲスト達に伝えること。

この庭から発信する思いが、一人でも多くの人に広がっていって欲しいと願います。

先日訪問してくれたゲストのひとりは、話を聞きながら、涙してくれました。

そんなことが、一つでも多くあればと・・・・・・・・。(3012.7.1より、一部コピー)





これが、私にとって長続きできる方法であろうかと・・・・・。

そのためには、ベーサルシュートが残ったピンクサクリーナを守り育てていくこと。

6月、ベストシーズの庭。 ピンクサクリーナを前に、思いを語る自分の姿が見える。

今年は多くの花を望めないだろう。だが語ることはできる。

そして来年は、多くの花とともにありたいなと・・・・。





最後までお付き合いありがとうございました。