今は9月、夜長に移行中。5月ではないですよ。
おやおや、季節を間違えたようですね・・・・・。
ビバーナム・ピンクビューティーと ハナイチゴ
わたしは、夜長の季節を間違えているわけではないけれど、
夜長の読書の楽しみをどこかに置いてきてしまいました。
その理由の一つは、http://ameblo.jp/js-cott/entry-11207220080.htmlに書いたとおり、
現実逃避の必要が皆無になったこと。
『・・・・大人となり育児と仕事を両立させる多忙さから、読書は現実逃避に変わっていたのだ。ほんのひとときでも、自分を異空間に置くことで、ストレスからしばし解放されたい。それが本心であったのだ。
4年前、年老いた両親の生活補助の必要から早期退職したが、今は、毎日が日曜日。ストレス・レスに等しい日々。長年の夢が実現した日々。現実を逃避する必要が、どこにあろうか。現実逃避どころか、現実にどっぷりと浸かっていたいという欲望が強い。・・・・』
理由の二つめは、近視・乱視におまけがついて老眼とやらも背負うようになり、
字が読みずらくなったこと。
これは、まだ20代の時に、
月賦で購入した、筑摩書房 『現代日本文學大系』 全100巻の、とある1ページ。
29行、3段の構成。かなり読み応えがある。ハードカバーの1冊ずつが、厚くて重い!
20代の電車通勤時には、持ち歩くことが出来なかった。
今、気軽に読めなくても、いずれ子育て、仕事が一段落して、
ゆとりが出来たときの楽しみに残しておいてもいいと思っていた・・・・・・。
とんだ誤算だった!
1ページにぎっしり字が詰め込まれた本を手にすると、得した気分になった。
ところが本の売れ行きが落ちてきた昨今、だんだん字が大きくなり、行間もたっぷりしてきた。
出版社が利益を上げるための工夫だろう。そんなことして「セコイ」と思っていた。
40代前半までは・・・・・・。
ところが今は、そうい本がありがたい! 目が疲れない!
ユニバーサルデザイン(!?)だったんだと、思い直している自分を発見!
だから、大切に財産として保管していた『現代日本文學大系』は、ゆとりが出来たのに読めない。
本当に、とんだ誤算だった。
この文学大系だけでなく、ベッドのサイドテーブルには、読みたくて購入した本が、
約00冊、山積みのまま埃を被っている。コテージにも数十冊が同様。 (PCデスクの上の一部)
だが、期待したい! ブルーベリー狩りの成果が山を低くすることにも貢献することを!
私に似合う、秋の夜長は、やっぱり読書の筈・・・・・・・。と、独りごちている。