stained glassを作っていて完成したときの喜びって、作った人でないと分からない。
それまでの、苦労、努力、やけど、擦り傷、切り傷、爪の割れ・・・・・
それらが、
♪♪ そんな時代も あったねと~ ♪♪
に変わる一瞬、至福の時!
だが私には、それ以上に、「寂しさ」を感じる瞬間でもある。
その寂しさは、親心に似ている。
と、私は思う。
デザインから始まり、様々なステップを経て、少しずつ、少しずつ・・・・・
それは、カタツムリが歩むがごとくと、思える時もある。
それでも、確実に目指すところに近づいていく。
only one をモットーとするわたしは、
デザイン画の完成にも相当の日数を要する。
花のスケッチ・図鑑・写真集・デザイン集・PC・・・・・などを眺めながらイメージを練り上げ
そして、図案を起こす。
さらに、保存用・下図用・型紙用と手書きで何枚も複写し、
いくつかの作業を経てやっとガラスの切り出しに。
昨日の卵形ランプで、1番大変だった部分はここだった。
赤いポピー、中央部の黄色いおしべは直径が4mm程度、ガラスの厚さにほぼ等しい。
これを16個も切り出す。
指の腹を削り、爪を削り、爪を割り・・・・・絆創膏を貼っても間に合わないほどの血を流し。
(斜め上から撮影)
でもその傷みを、苦痛とは感じない。
こんな小さなピースは、完成品の中では全く目立たないにもかかわらず・・・・・・・。
とにかく、完成に1歩でも近づくことが楽しくて。制作の過程が楽しくて。
子育てにも 苦労は尽きない。
でも、それにまさる喜びは多々あり、
二十年前後の子育てを人生の中の幸せな期間だと思う。
我が子が進学、就職、結婚など、ひとりの人間として親元を離れるとき
親は、誇らしさや安堵感と一緒に、子が親元から巣立つ寂しさを感じるものだろう。
私にとってのステンドグラスの制作は、まさにそれ。
手がけることが、作ることが、制作過程のすべてが楽しくて仕方がない。
完成間近に迫った喜びが、大きくなると同時に、
自分の手から、作品が離れる寂しさが、募って来るのだ。
販売を目的としているのだはなく、
自分のため、あるいはプレゼントのために制作するので、
幸いにも手元に残る作品が多いが、
それでもこの寂しさは必ずつきまとう。
読者様へ PS.
萎れてしまう出来事があり、泥沼に身を沈めているような気持ちが2,3日続いていました。
昨日は、作品の写真だけをアップするのが精いっぱいでしたが、
皆さんの温かいコメントが、清澄な水を私の元へ運んでくださったようです。
清らかな水をたっぷり吸い上げ、少し元気が出てきました。
もつべきものは、ブログ友ですね。
本当にありがとう。