私事ではございますが、
つい先日、実父が永眠いたしました。
享年75歳(数え)
7年前に、#意味性認知症 と診断され、
5年前には、国から #指定難病 と認定。
意味性認知症は、治療法もまだ確立されておらず、
診断当初は、2〜3年の命かも?
長くても5年内には…と宣告されておりました。
稀な病気なので、先生も正直わからないとのことでした。
2018年の夏に、脱水症状を繰り返し、
何度も実家に救急車を呼ぶも、
自分で点滴を抜いてしまうので、
そのまま対応できる病院で入院生活を開始。
結局そのまま自宅に戻ることはなく、
最近施設に移り、最期はそちらで息を引き取りました。
ここで、恥ずかしながら父のことを。
私が物心ついた時には、
父の人柄は異常なまでに厳しく、
短気で荒く、すぐに手が出る。
いまの世の中なら、何度も通報沙汰になっていたと思います。
母、私、弟は、父の顔色を伺いながら、
めんどくさいので怒らせないように過ごす日々でした。
父については、そんな思い出がほとんどで、
息子が産まれた時は、
父にだけは関わらせたくない、とそればかり。
私が保育園の時には、些細なことで往復ビンタとかされていましたから。
でも、私の心配をよそに、
息子には甘々で、あちこち連れて歩き、
父なりによくかわいがってくれ、
息子も懐いていました。
父が入院した後は、息子にとっての
<よいおじいちゃん>とは違う姿だったので、
息子はお見舞いにも連れていかず、
息子の中のよい思い出のままにしておく事を選びました。
なので、父の訃報を聞いたとき、
息子は大泣きに泣き崩れ、
すぐに千羽鶴を折り始めました。
私も手伝い、結局200を超えるくらいでしたが。
納棺の儀や、葬儀ではケロっとしていた息子でしたが
火葬の前にも吐くほど泣きました。
いま思えば、父は伝え方を知らなかったと頭で理解できますが、
感情はついていかず、父の死も淡々と受け止めています。
今もなお、父に対して、
世間一般的な家族の情は持つことができないままですが、
父のセンスや先見の明などは、
すごいなと思えるとこがあり、
教養として教わった様々な点には、
感謝もしております。
父本人も、母も、弟も、
長い間お疲れ様でした。
そして、数年前、ブログに父の病気を書いて以降、
今でも時折気にかけてくださっていた皆様、
本当にありがとうございました。
雲ひとつない晴れた空のもと、
生前は見たこともないような
安らかな表情で、父は幕をおろす事ができました。