新宿武蔵野館にて
11月に公開された

『わたしは光をにぎっている』を観てきた❗❗








松本穂香さん主演

周りの役者陣がしっかりと脇を固めている


光石研さん
渡辺大知さん
徳永えりさん
忍成修吾さん
吉村界人さん
樫山文枝さん


脚本・監督   中川龍太郎監督


主題歌   『光の方へ』カネコアヤノさん


(あらすじ)
その日、宮川澪(松本穂香)は、東京へ引っ越した。
早くに両親を亡くした澪は、育ててくれた祖母の久仁子(樫山文枝)が切り盛りする、長野の野尻湖近くに佇む民宿を手伝っていたが、久仁子の入院で閉館することになったのだった。
東京の下町・立石に降り立つと、父の友人の三沢京介(光石研)を訪ねる澪
仕事が決まるまで、彼が経営する伸光湯の一室に居候させてもらうのだった。
スーパーで働くことになった澪を、伸光湯の常連で京介とも親しく、自主映画を撮っている緒方銀次(渡辺大知)とOLの島村美琴(徳永えり)が、仲見世通りの飲み屋で祝ってくれる。
だが、客からの質問やクレームに、ほとんど対応出来なかった澪は、スーパーの仕事をあっさり辞めてしまう。
久仁子に電話で、『目の前のできることから、ひとつずつ』と諭された澪は、まずは伸光湯の浴室を不器用な手つきで掃除することから始める。
その日から、浴室の床の磨き方、薪の作り方、窯の焚き方など、銭湯の仕事を一つひとつ京介から教わる澪。
番台に座り、お客さんとも少しずつ話せるようになり、そこから昔ながらの商店街の人々との交流へと繋がっていく。
失敗も経験しながら、自分なりに工夫して、伸光湯を居心地の良い場所へと変えていく澪。
だが、ある日突然、京介からもうすぐ区間整理で『ここ無くなるんだよ』と知らされる……





特に激しい展開があるわけでもないが
ゆったりとした空気感や光
この映画に流れてるものが、松本穂香さんの透明感と相まって、すごくいい照れ


澪という役は、あまり感情や言葉を表に出さないタイプ
だんだん変わってく様をみているのもよかったですね。




武蔵野館のディスプレイ

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下町の銭湯が舞台になっている映画
多くを語らない澪と京介の関係性も面白い
美しい映像と浴室の壁越しに京介と会話するシーンは、とても印象深い
切なくてほろっとさせてくれるシーンでした

樫山文枝さん演じる久仁子の言葉にも力強く
また、生きてく上でのヒントにもなりうる言葉だと思った

区画整理で銭湯もなくなってしまうわけですが、実際に起きてることですよね

昔馴染みの風景が消えてしまう物悲しさ
雑然とした下町の懐かしい場所
そういう場所を丁寧かつ愛情を持って撮られた映画だと思っている

監督のインタビューにもあるが
10年後には存在しないかもしれない場所や人々の姿を残したい
ということを念頭において企画が始まっていったそうです。


松本穂香さんのやりすぎない演技
まさに、澪そのものだなって
野尻湖に入っていくシーンも印象深く
後ろ姿を映してるわけですが、実際には色んなカットを撮っていて、
台本では、死んだ母と湖の中で対面するというものだったらしい
でも、後ろ姿だけのカットになることで
観客がその先を〖感じられる〗ようになってる気がすると松本穂香さんのインタビューにありました!

まさに、その思惑?通りに
このシーンの意味を色々考えてしまいましたね



やっぱり映画は、いいですね(。•̀ᴗ-)✧