時間は、13時過ぎ。まだまだ行きます![]()
しばらく行くと、小さな花壇の後ろに「本市場一里塚」を発見![]()
江戸から35番目の一里塚である
歩いていくと商店街通りの交差点に差し掛かる
しかし、シャッターばかり降りていて淋しい印象が…たまたま曜日が悪いのか
はたまた閉店しまったのか…答えもわからないまま進むことに
身延線のガード下を通りすぎると、旧道との分岐点に秋葉常夜灯がある
旧道は、のどかな感じがする
交通量も少なくて歩きやすい
再び県道に戻ると、すぐに富士川
富士川の手前に
「松岡水神社」
文字通り水神を祭ったもので、鳥居をくぐって進むと
常夜灯や石仏、「富士山道」とかかれた道標
「富士川渡船場跡の碑」がありました。
「富士川橋」を渡る
結構、長い橋で脇を走る車の交通量はかなりのもの
富士川は、とても急流で水量も多い川で、船で渡るのは大変だったように感じる
橋の隙間から下を見ると怖いですね
午後からの曇り空で、また富士山が見えなくなってしまった…
橋を渡りきり右折していくと
「角倉了以翁の紀功碑」があった。
京都の豪商で、慶長12年、同19年両度にわたり、幕府より富士川の開さくを命じられた。
その水路は、岩渕河岸から鰍沢河岸(山梨県鰍沢町)の間、約71Kmで、大変な難工だった。
これにより、富士川水運は、明治44年中央線がが開通するまでの300年間
甲信地方と東海道を結ぶ交通の大動脈となった。
隣には、渡船「上り場」常夜灯が
右隣には、船型の植樹桝があった
横断歩道を渡り急坂を上っていくと、「間宿 岩淵」へ入っていく
続く…






