勿論ではあるが、家康が「伊賀越え」をして、本能寺の変から本国・三河へと一旦引き揚げた時代には、現在の国道307号に相当するような街道があった訳ではない。
 今回、筆者も京都府内で結構な悪路を通っては来たが、それでもまだ舗装されているだけましであろう。
 家康の時代には、恐らく峠道、それも「道なき道」のようなものしかなかったのではなかろうか。
 当時でもある程度は整備された「街道」(それこそ東海道など)はあっただろうが、そんな所を通過しては、すぐに「追手」に見付かってしまうに違いない。

 先刻の宇治田原局でも「信楽から伊賀上野のほうへ……」と答えているのだが、これはまさに「神君伊賀越え」のルートに重なる。
 ただし、実際の伊賀越えに当たっては諸説分かれており、家康が伊賀忍者の勢力圏ど真ん中に突っ込んでいくのは、いくら何でも無謀過ぎる、という考えが主流のようだ。
 なので、伊賀上野へと抜けるのではなく、信楽から伊賀の北端部を東進して、柘植から加太へと抜けたのでは、という説が有力だそうだ。

 いずれにしても、今回のテーリングに関しては、この「神君伊賀越え」ルート周辺を巡ることになったようで、そういう目で見ると、また違った側面が感じられるかも知れない。
 尤も、あまりそちらに引きずられてしまっては、本来の目的を見失いかねないので、ほどほどにしておこう。

 さて、宇治田原局を後にして、国道307号を更に東進すると、裏白峠を越えて京都府から滋賀県、山城国から近江国に入る。国道は切通で抜けていくが、前後にはトンネルもあることから、ここはバイパスのようで、地図を見れば少し南側に「旧道」と思しき道もあり、本来の峠越えはそちらのようだ。
 家康も、この裏白峠を越えて近江に入ったとされているが、その名残であろう旧道は、ストリートビューなどで見る限り、一度は舗装されたようであるものの、そのまま荒れるに任せているかのように廃道へとなりつつあるようだ。

 峠を下りて、ある程度開けてきたと思ったら、左側から国道422号が合流し、暫く重複区間となる。

 

 

 朝宮小学校前という交差点の先で、左へと分かれる旧道然とした道に入って進むと、46050:朝宮郵便局があった。

 数台止められそうな駐車場があるのだが、その駐車場を挟んで東側にある建物も、一見すると「元は郵便局だったのでは?」という風情。出入口の扉付近には、政治家のポスターが貼られていたりして、その手の用途に転用されたこともあったのかも知れないが、現在は「ほぼ廃屋」ではある。


 ちょっと調べてみたが、該当する情報は見当たらなかった。地番としては、現在の局舎とは異なっているのだが、特にこれといった移転履歴があるようでもなく、単なる「郵便局っぽい建物」がたまたま隣接地にあっただけ、なのだろうか。

 国道に戻り、更に東に進んで、中野という交差点まで来た。


 周囲の郵便局の分布を見れば、ここで右折することになりそうだが、交差点の脇に「セブンイレブン信楽町中野店[24423-9]」があり、滋賀県での「実績」作りのために立ち寄った。

 ここから南に進めば、簡易局が2つあるようだが、その先は、となると、三国峠(山城・近江・伊賀のことだろう)を越える「三国越林道」に繋がる「林道多羅尾線」か、御斎(おとぎ)峠を越える県道138号・信楽上野線のどちらかで三重県・伊賀側へと出るしかなくなってしまう。
 これがまた、とんでもない道のようなので、それはやめておこう。

 その御斎峠は、長らく「神君伊賀越え」で家康が伊賀に入った場所、と言われてきた。
 しかし、前述したとおり、御斎峠を越えた場合には、そのまま伊賀上野の西側に出てしまう。それでは伊賀忍者の勢力圏ど真ん中に飛び込んでしまうため、最近ではこの後通ることになる国道422号が通過する桜峠を越えて伊賀に入った、という説が有力視されている。

 とは言え、地図に見えている2つの簡易局を無視する訳にもいかない。
 効率を考えて、先に奥にあるほうを目指すことにする。

 中野で国道307号から見て右折し、南進すると、県道138号にぶつかる。これを右折すると、甲賀市信楽町多羅尾の集落手前で県道334号・多羅尾神山線と交差する(実際には東に進んだ六呂川というバス停付近まで重複)。334号は、この多羅尾の集落へと入った所で終わり、ここからが前述した「林道多羅尾線」になる。
 簡易郵便局の所在が今一つはっきりせず、そのまま県道334号を進んでしまったが、どうやら県道138号とぶつかる交差点で右に曲がっておけば良かったらしい。
 結果的に、県道334号の末端のT字路で右折して(左折すると林道多羅尾線)、ぐるっと回り込んだ。

 

 

 暫く進むと、46737:多羅尾簡易郵便局があった。

 局前には「丸型ポスト」も立ち風情のある局舎だが、おやっ?と思ったのが、「ゆうちょATM」の看板もあるところ。
 窓口の受託者さんに「簡易局でATMがあるのは珍しいですね」と言ったところ、「そうなんです。滋賀県では2箇所だけなんです」とのこと。

 実は、この多羅尾簡易郵便局は、1993年6月に特定局(46163:多羅尾郵便局)が廃止になったことによって、簡易郵便局として「再スタート」を切った、という歴史がある。
 それから既に30年以上が経過しているが、当時は既にほとんどの特定局にはATMがあった時代だったため、廃止して簡易郵便局で代替することの「条件」としてATM設置が継続されたのかも知れない。

 また、この「多羅尾」という地は、家康の伊賀越えに際して協力したと言われる多羅尾四郎兵衛光俊の居城があった所で、家康一行は、その多羅尾氏の支配地で一泊したと伝えられている。
 多羅尾光俊は、甲賀五十三家の中で唯一「代官」となった甲賀武士(甲賀忍者)とされ、そう言えば、先刻通った県道334号末端のT字路にも「←多羅尾代官陣屋跡」なる看板が立っていた。

 私見ではあるが、昔の映画で有名な探偵「多羅尾伴内」の名は、もしかするとこの「多羅尾」に由来しているのではなかろうか。
 多羅尾伴内は「変装の名人」である「元・怪盗」であった主人公(藤村大造)が「私立探偵」として変装した際の名であるが、変装によって眩惑させるという手法と「忍び」が結び付き、甲賀忍者の代表格だった多羅尾家の名を称した、と考えたりしてしまう。

 既述のとおり、この多羅尾から更に山に入ったところで、とんでもない道しか待っていなさそうなので、多羅尾簡易局の前の道をそのまま進んで、県道138号と334号が合流する所に戻った。
 ここで左折し、元来た県道138号を戻って行く。
 中野から南下してきた道とのT字路をそのまま直進すると、すぐに46712:小川簡易郵便局……の「看板」が現れた。

 郵便局自体は、少し奥まった所にあるようで、県道沿いに「小川簡易郵便局駐車場」という看板も出ている空地があり、そこに駐車。


 簡易郵便局の局舎自体が、大きな「お屋敷」の一棟の入口部分を使ったような感じで、これまで色々なタイプの個人受託の簡易郵便局を見てきたが、これほど立派な屋敷だったのは初めてだ。


 県道沿いの駐車場なども含めると、敷地は相当に広いようで、何も「お屋敷」本体の一角に簡易郵便局を設けずとも、国道沿いの敷地にプレハブでも建てれば……とさえ思える。

 

 


 簡易局の入口を入ると、先客が一人いたのだが、何やらややこしい手続をしているらしい。
 こちらはもう、所期の目的である「マルチ稼ぎ」的には成就しているので「急ぎませんよ」とは言ったのだが、本当に煩雑な手続だったようで、こちらの処理を先にしてくれる、とのこと。
 局の客用ロビー部分があまり広くなかったためか、地元の人と思しき先客の御夫人は、外の椅子で待っていると言って出て行ってしまった。広くないとはいえ、ロビー内に椅子はあったので、そこで待ってもらってもこちらは一向に構わないのだが、見知らぬ人と一緒なのは落ち着かないのだろうか。

 受託者さんから「お孫さんの通帳ですか」と訊かれたが、すぐにこちらがそんな年齢ではなさそうなことに気が付いたようで「失礼しました」と。
 どうやら「随分『今風』なお名前だったので……」と、長女や長男の名前から、まだ小さい子だと思った様子。いや、もうすぐ高校3年、1年経たずに「成人」しますので……。
 もしかすると、筆者自身の名前も「相当に今風」なので、一体誰の名前を「孫」だと思ったのかは謎だが。

 実は、この「小川」という地名も「神君伊賀越え」には登場することがある。
 多羅尾氏の協力により、その支配地内で一泊したと伝えられているのが、この小川簡易郵便局の南にある山の上にあったとされる「小川城」だったとされている。

 簡易局前にあった小さなポストの足元には、流石「信楽焼」の本場なのか、という「置物」?が。

 そう言えば、さっきのセブンイレブンにもあったな。

 

 そして、この「翔んで埼玉」でも話題になった、滋賀県発祥の「とびだしとび太」(「飛び出し坊や」とも)の看板もあちこちに(笑)。

 裏表セット?で「とび出し」「注意」なのね……。

 こんなバージョンもあった。

 小川簡易局から県道138号を北上、一旦、国道422号に合流するが、すぐにまた県道138号として分岐し、県立信楽高校の横を通り、信楽の中心街に入った「長野」という交差点で、今度は国道307号と合流。

 そのすぐ先に、46019:信楽郵便局があった。

 

 

 ここは、郵便区「529-18」を担当する集配局で、建物もそこそこ大きく、局前には3~4台分の駐車場もあった。
 景観条例でもあるのか、局の「看板」が、定番の「赤地(あるいは橙地)」ではなく「白地」になっている。

 ゴム印は、局名の前に「信楽焼」の代表的存在?の「タヌキ(の焼物)」のイラストが入ったものだった。
 余談だが、あのタヌキ、通常は片手に「酒」、もう片方の手に「通帳」を持っているので、妙に親近感が沸くのは筆者だけではあるまい。

 この先をそのまま進めば、雲井局になるのだが、それでは信楽高原鐡道の沿線を往くことになってしまう。
 折角、自家用1号車で来ているのだから、鉄道では行き難いところを回ってこそ、だろうと、少し戻って国道422号へと向かう。

 (つづく)