今年の半ば、とあるイベントの会場で、ある知人から「八甲田さん、もし『宮内庁内郵便局』に何人か行けるとしたら、参加されますか?」と尋ねられた。

 詳しいことは書けないが(お察しください)、この知人が言うのであれば、可能性はあるのだろう、と直感した。しかも「宮内庁内郵便局に行きたいか(~だとかつてのウルトラクイズみたいだが)」ではなく、「参加しますか?」なのだ。

 

 実は、その少し前に、勤務先支社で毎年作成する「顔写真入り座席表」で、皆、「一言コメント」を入れる慣習なのだが、今年の当課のテーマは「死ぬまでに行ってみたい場所」だった。

 最初、「オーロラが見える場所」と書いた。筆者の家族は、筆者以外「超」が何個も付く寒がりなので、家族で行く機会は半永久的になさそう。となると、筆者が一人でふらふらと海外旅行に行ける頃には、相当な年齢になっているだろうから、文字通り「死ぬまでに」と言うよりも「死ぬ前に」なってしまいそうだ。

 しかし、課内で5人以上とかぶってしまい、これじゃつまらない、と書きなおすことに。

 そこで、ややマニアックなウケを狙い「宮内庁内郵便局」と書き直した。が、特に社内での反応はなかった。筆者が「郵便局(だけじゃないけど)マニア」であることは、ある程度知られている筈だが。

 

 そんなことがあってから、さほど経たず、唐突に言われたものだから驚いた。

 勿論、その知人には「万障繰り合わせる」旨の回答をした。

 が、そんなにすぐではないだろう、とも思っていた。

 

 その「お誘い」というか「打診」があった時点で、筆者の通算訪問局所数は6,910局余。

 民営化前、というか子持ちになる前は、年300から400局のペースで回り、概ね3年で千局、という感じだったが、民営化以降12年が経とうというのに、民営化時点で通算6,468局だったから、12年で500局足らず、年40局余りという体たらくである。

 それでもここ数年は、年100局弱のペースにまで戻しているから、うまくいけば通算7千局目を宮内庁内郵便局にすることもできるかも、という淡い期待をしていた。

 

 ところが、その機会は思った以上に早く来た。

 たまたま、長男の校外学習に際し、長男の身体障礙に対応する処置の絡みで泊りがけで出掛けることになり、日中の空き時間を利用して未訪局の「落ち穂拾い」をしていたが、その宿泊先だった校外学習会場から車で一時間足らずのビジネスホテルにいる時に連絡を受けた。

 その時点で、通算6,944局所となっていたが、半月余りで55局を積み上げることはかなり厳しいと思われ、通算7千局目は諦めざるを得なかった。

 次善の策として、6,950局目、という妥協点を見出したが、そうなると今度は、翌日の「落ち穂拾い」のペースを抑えなければならなくなった。

 その後、出張のタイミングで移転・改称後未訪の横浜台村局と横浜下野谷町局を片付ける算段をしており、となるとあと3局所で止めなければならなくなったが、それはどうにか合わせられた。

 

 ということで、恐らく「貯金を扱う郵便局としては最難関」であろう01203:宮内庁内郵便局を訪問できることになった。

 

 「最難関」の定義には諸説あろうが、筆者にとっては、間違いなくここがそれに当たる。

 小笠原にも行き、母島簡易局も片付けた。今は無き、伝説の「東の川簡易郵便局」にも行った。波照間島や与那国島にも行ったし、北海道も走り回った。知床まで日帰りしたこともあった(郵便局関係なければ宮古島日帰りというのもあるが)。

 大抵の郵便局には、ありとあらゆる交通機関を駆使し、平日に休暇さえ取れればどうにかなると言っていいのだが、物理的に一般人の立ち入りを拒んでいる場所にある郵便局に行くためには、「一般人」から「関係者」になるしかない。今回は「関係者の関係者は、みんな関係者」という、かつて存在したお昼の番組のようなつながりで実現することになったが、一生に一度あるかどうか、という機会であることは間違いない。

 

 ところが、「死ぬまでに行ってみたい場所」として書いたのがいけなかったのか。

 

 当初は「夢や目標は言葉や文字にするほうが実現に近付く」という「格言」めいたことを呑気に言っていたのだが、「連絡がついて日時が決定しました」という連絡をもらった4日後、何と、階段から10段ほど転落し、右膝関節を傷めてしまった。

 雨上がりで濡れていた外階段のタイルで滑ったのだが、頭から落ちそうになるのを、とっさに後ろへ重心を移し、受け身を取ったので頭部への衝撃は免れた。利き腕である左腕と左の大腿部で受け止め、そちらも多少の打ち身はあったものの大したことはなかったが、滑った拍子に右膝を捻ってしまったらしい。

 休日ではあったが、近所の整形外科が見てくれることになり、骨に異常はなく、靭帯なども大丈夫そうだが、衝撃で関節が炎症を起こしているようだ、とのこと。穿刺して溜まっていた「水」を抜いたが、血は溜まっていなかったものの、黄色い水が溜まっていたので、炎症が起きているらしい、と言われた。

 

 そんなこともあり、当日になっても右足を引きずって歩くような状態ではあったが、その程度で宮内庁内郵便局を諦めるわけにはいかないことは、こんなbLogを読んでいる方ならおわかりだろうと思う。

 しかし、「死ぬまでに行ってみたい場所」に行けるということは、「もしかして俺、死ぬの? 階段から落ちたくらいだし」と思ったりしてしまう。

 

 閑話休題、こうして、令和元年12月5日(木)に、宮内庁内郵便局を訪問することが決まったのだった。

 

 (つづく)