■ 今はなき?「上磯」テーリング

 

 11時20分に函館着。11時43分発の江差線の普通757D・上磯行に乗り換える。この列車をはじめ、函館・上磯間の列車には「わくわく」号という「愛称」が付けられており、時刻表などにも載っているが、意味(というか趣旨)はよくわからない。

 

 12時06分に上磯に着き、2本後の14時02分発745D・木古内行まで、上磯町内(当時、現在は北斗市)でテーリングする。

 上磯駅でコインロッカーを探してみたが、そんなものは見当たらず。駅の窓口で訊くと「2時間くらいなら、預かっとくよ」と言われ、御好意に甘える。

 

 まずは94008:上磯局。ここは、現在の北斗局(2006年2月1日改称)である。続いて94096:上磯昭和局。ここも現在は北斗谷好局(北斗局と同日改称)になっている。
晴れているとはいえ、3月前半の北海道。歩道には結構な積雪が残っている。そんな中を歩いて94730:上磯富川簡易局に辿り着き、ここで通産430局目となった。受託者のおばさんが「あれまぁ、東京からこんな所まで、雪の中を……」と唖然としていたのが印象に残っている。
 上磯富川簡易局も、2006(平成18)年4月1日から一時閉鎖となり、郵政民営化を控えた翌2007(平成19)年3月31日付で廃止になってしまった。
 そんな訳で、上磯町内の3郵便局を徒歩テーリングしたものの、今となっては、全て「現存しない局名」になってしまった。

 

 745Dで14時41分に木古内着。
 少し歩いて、94007:木古内局へと行ってみた。駅から離れた、鄙びた商店街の中にあった。

 

 駅前に戻り、近くにあった大衆食堂と喫茶店を足して2で割ったような飲食店に入り、かなり遅い昼食にする。

 青函トンネルの開業を2日後に控えているからか、頭上にはヘリコプタが飛び交う音がする。
 店の人の話によると、トンネルに期待はしているが、木古内が「ただの通過点」になってしまうのではという懸念しかないそうだ。
 つい先日、2月1日に木古内・松前間の松前線が廃止になったばかり。これも海峡線開業の「踏み台」のような感じだ。
 そして後に、2014(平成26)年5月12日には、木古内・江差間も廃止され、残る五稜郭・木古内間も、2016(平成28)年3月26日の北海道新幹線開業と引き換えに第三セクター化されてしまった。

 筆者にしても、その後、木古内を通ることはあっても、立寄ったことがない。

 

 木古内16時25分発の748Dで函館に戻る。
 函館着は17時38分で、夜行便の乗船名簿の確保は問題なかった。

 

 考えてみると、下りの昼行便と上りの夜行便で往復することが続いている。この後、計画通りなら上りの昼行便には最終日に最終便、或いはその前の便で乗る予定だが、下りの夜行便に乗ることはなさそうだ。
 もとより、過去も含めて北海道ワイド周遊券を利用することが多かったため、本州内を(追加料金が不要の)夜行急行で、ということが多く、結局、青函連絡船の「下り夜行便」は、一度も乗ることなく終わっている。

 この日の上り夜行便は、102便が「檜山丸II」(JMMI)、2便は「十和田丸II」(JMUK)らしい。どちらも乗ったことがない船なのだが、今回は2便「十和田丸」を選択。

 

 この時点で、既に各船の「運用予定」は読み取れていた。この年の頭に検査期限が切れた「大雪丸II」(JPBI)が退役したため、残りの船がフル回転しないと、ダイヤが維持できないので、読み解くのは難しくなかった。


 それによれば、狙っている最終日(3月13日)の上り最終便・22便には「羊蹄丸II」(JQBM)が当たる見込み。その先行臨時便の8010便には「檜山丸」が、更に前便の20便に「十和田丸」が当たると思われた。
 22便「羊蹄丸」へは、青函トンネル一番列車となる快速「海峡1」号から乗り継いで、乗船名簿配付を待つ列に並ぶことになり、これに失敗すると8010便「檜山丸」に回されることが予想される。さすがに20便「十和田丸」になってしまうことはなさそうだ、と直感していて、今夜は「十和田丸」にしておこう、と思ったのだった。

 

 しかし、万一、上り最終22便「羊蹄丸」に乗れてしまった場合、今度は「檜山丸」には乗らずに終わってしまう可能性がある。


 そこで、函館停泊中(102便出航前)の「檜山丸」の乗船口にいた船員に断わって、記念スタンプだけ押させてもらった。まだ日付が変わる前ではあったが、運航日に合わせて3月12日に更植されていた。

 

 ~ つづく ~