錆ケ浜港を後に、三宅島西岸を北上する。
 三宅村の役場は、本来、三池港から一周道路に上がった所にあるのだが、雄山の東側(正確にはやや東南東寄り)に当たるため、四六時中、火山ガスに晒されてしまう。
 そのせいか、阿古小・中学校があった場所を「臨時庁舎」として事務を行っているらしい。阿古小・中学校も、元々はもっと北にあったのだが、阿古地区は、1983年の噴火で大きな被害を受け、校舎もコンクリート部分だけを残して壊滅してしまった。そのため、現在の村役場臨時庁舎の場所に移転したのだが、2000年の噴火と避難により人口・児童生徒数も減少、旧・三宅、阿古、坪田の3小・中学校が統合され、三宅村立(新・)三宅小・中学校となった。

 

 その村役場臨時庁舎の南側で、海側へと左折する道を進むと、1983年に被災した元・阿古小・中学校跡がある。その手前に、「眼鏡(メガネ)岩」と呼ばれるスポットがあって、ガイドブックなどでは大抵紹介されている。


 眼鏡岩は、過去の噴火による溶岩流が海岸線を越え、固まった後に波の浸食で大きな穴が2つ開いた。そのうち陸地から見て右側の穴は、上部が伊勢湾台風の際に崩落してしまったため、現状は「眼鏡」には見えない形になっている。


 が、その崩落した穴の部分から、沖合にある通称「三本岳」が見えるポイントがあり、ちょっと面白い風景写真が撮れる。

 

 眼鏡岩を後に、更に北上する。
 件の元・阿古小中学校跡を車窓に見ながら通過。辺りは、溶岩流の跡と思しき赤茶色というか、赤錆のような色の土だらけだ。有史以来、幾度となく噴火を繰り返し、その度に復興してきた火山島らしい風景ではある。
 このところ、概ね20年毎に噴火しているようなので、島の人曰く「そろそろ、次がいつあっても不思議じゃない」とは言うが、今の所、雄山の活動自体は落ち着いている様ではある。

 

 前回、2000年の噴火の際、6月の噴火から8月の全島避難指示までの間に、「もう『最後』かも知れない」と、三宅島に渡り5つの郵便局を巡った知人がいる。
 そんな大変な時に、無理して行かずとも、結果としてこの島は、また元のように再建された。勿論、5年近くの避難生活を経て、島に戻らない選択をした島民も少なくはなく、人口は減少し、前述したように小中学校も統合されてしまった。
 しかし、郵便局は5局とも、簡易郵便局になることもなく、直営局として存続し、2007年6月の三宅島伊豆局の再開で、完全復旧した。ギリギリ民営化前だったことも奏功したとは思う。

 

 元々、三宅島には神着、伊豆、伊ケ谷、阿古、坪田の5村が存在し、戦後間もなく前3村が合併して三宅村となり、その後残る2村も合併して(新・)三宅村となった。つまり、この戦前からの5村に1つずつ郵便局が存在するという構図になっている。旧・三宅村成立時の3村体制時には、各村に小中学校が1つずつあり、旧・三宅村が三宅島局が担当する郵便区「100-11」、阿古村と坪田村が坪田局担当の郵便区「100-12」となった。
 調べてみると、業務の効率化のためか、最近では新東京郵便局の「集配センター」としての位置付けで、三宅島局と坪田局が機能したらしい、ただし、噴火により休止したりした関係で、最終的には三宅島局が、「100-11」「100-12」とも集配を担当するようになったらしい(三宅島局だけは土日も午前中は郵便窓口が営業している)。少なくとも現状では、この2つの郵便区は、新東京局の担当ということにはなっていないようだ。

 

 ということで、郵便区「100-12」から「100-11」に入り、伊ケ谷の集落に着いた。
 道沿いに郵便局を発見したが、そこから左折すると伊ケ谷漁港に行けるようなので、そちらに先に行ってみる。東海汽船の船は、錆ケ浜にも三池にも入れない場合に、この伊ケ谷に入港することがあるらしい。


 港と集落の間にはかなりの高度差があり、行って見ると、本当に6千トン近い船が入れるのか、という小さな岸壁。ただし、やはり西に面しているため、外海は荒れているが、岸壁が防波堤を兼ねたようになっており港内は穏やかだ。
 で、乗船券を買ったり手続きをしたり、待合室になるべきものは……と見渡すと、「伊ケ谷ふれあい館」という建物があり、そこらしい。が、行ってみても、入口には鍵がかかっており、中もがらんとしている。一応、東海汽船の窓口らしき造作も見えるが、人の気配はない。


 どうやら、ここに入港する場合のみ、誰かが来て開ける、ということらしい。そのため、港のスタンプなども、置いてあるのかさえわからないが、恐らくなさそうだ。逆に存在しているならば、結構レアなスタンプということになりそう(とは言え、伊ケ谷入港はそれほど珍しいことではない)だが。

 

 また、元来た坂道を上り、集落へ。一周道路に突き当たった所が01781:三宅島伊ケ谷局。「局名のハンコを……」と言うと、窓口氏は、「亀の絵が入ったモノと、普通のがありますが……」と言う。迷わず絵入りを注文。

 この局の風景印は、島内で唯一の変形印。三宅島の形になっている。

 

 続いて、01785:三宅島伊豆局を目指すが、その前に、伊豆岬灯台に寄ったりする。

 

 伊豆局は、噴火・全島避難解除後に、移転し、一周道路沿いではなくなった。三宅島の5局のうち、一周道路沿いにないのは、この伊豆局だけである。また、5局のうち、避難解除後、最後に再開したのもこの局だ。


 局舎は、三宅村が運営する「伊豆老人福祉館」に併設された形になっていた。
 局名ゴム印は、伊豆岬灯台のイラスト入り。ここまで阿古局以外、全て「宝」印である。三宅「村」所在のため、「ゆうちょラリー」的にも基礎ポイントが3ポイントとなり、局数は少ないが、ポイントは稼げる。


 元の局舎は、一周道路沿いにあるのだが、そこは「からおけスナック」になっていた。どうでもいいが、借りた軽自動車にはナビが付いており、その地図データでは、まだ郵便局がそこ(からおけスナック)にあることになっている。


 ……この車って、噴火以前からあったの? 借りたのは、スバルの「R2」(DBA-RC1)で、2003年から2010年まで製造されたモデル。流石に、20世紀のものではないようだ。単にナビのデータだけが旧い、ということらしい。

 

 ~ つづく ~