夏季休暇が残り過ぎてしまうので、取り敢えずどうにかしようと仕込んだのは、実に14年ぶりとなる伊豆諸島でのテーリング。

 既述のように、御蔵島以南は小笠原を含めて「完訪」しているので、今回は三宅島に行くことにする。

 

 三宅島は、2000年6月から始まった噴火が、次第に激しくなってきたため、同年8月に「全島避難」となり、2005年まで続いた。筆者の東京都島嶼部でのテーリングとしては、1998年4月に小笠原(父島・母島)、2000年9月に青ケ島と八丈島、2002年10月に御蔵島と利島、と「北上」していた。しかし、三宅島は全島避難で事実上「無人島」となり、郵便局など、勿論営業していなかった。

 2005年に避難解除となり、数か月後に観光受入れが再開されたが、航空路の「復活」が2008年まで遅れたことあって、ずっと行きそびれていた。2005年の後半航空会社のFFP(所謂マイレージプログラム)に目覚め、2006年に本格的に「マイレージ修行僧」として活動したこと、2007年に双子の子持ちになってしまったこと、などが要因だと思う。

 

 そんな三宅島に、今回は船で入る。現在は、NH(ANA/全日空)はMYE(三宅島)から「撤退」してしまったが、その代わりに新中央航空(CHK/NCA)が一日3往復就航していて、むしろ「増便」されている。ただし、その「玄関」はHND(東京羽田)ではなくCHU(調布)のため、アクセスが今一つではある。

 また、運賃も船の3倍くらいになってしまうので、今回は、往路は東海汽船の夜行便で入ることにした。復路は、船よりも2時間以上遅く出て、3時間以上早く帰着するので、一応航空便を予約してある。ただし、天候などで帰りの飛行機が「やばい」と思ったら、船で帰る選択肢も考えている。この辺りは、マイレージ修行僧として「大島・八丈島ぐるぐる」を繰り返したり、利島で帰りの高速船が接岸できずに「島流し」に遭ったりした経験から、かなり計画的になった。

 

 ということで、京浜東北線で浜松町に21時半頃到着し、竹芝桟橋まで歩く。

 

 

 平日の夜行便ではあるが、ダイビングに行くらしい客など、結構人は多い。たまたま、大島~神津島航路の夜行便が休航日であるから、ここにいるのは三宅島以南に行く人ばかりなのだ。

 インターネットで予約・購入はしたのだが、どうすればいいのかよくわからず、取り敢えず窓口へ。ネット割引で20%引きなので、2等ではなく特2等にしてある。窓口にプリントアウトした「予約確認書」を渡したら、乗船券が渡された。奇数番号なので、恐らく下段らしい(東海汽船の特2等は二段ベッド)。

 ターミナル内には、カフェや売店も営業していたが、カフェのラストオーダーまで間がなく、売店も現金のみなので、桟橋の向かいにあったファミリーマートに行ってみた。ここには「ゆうちょATM」はなかった。缶ビールとハイボール、つまみなどを少々仕入れ、桟橋に戻った。

 

 22時15分、乗船開始。

 座席は決まっているから、慌てて乗ることもないので、列が捌けてから乗船する。

 ターミナルを出たところで、係員が乗船券の右側3分の1を切り取った。ここが「乗船名簿」になっているのだ。残った乗船券部分は、下船時に回収される。

 

 2014年から、三宅島~八丈島航路には、橘丸(7JRC)が就航している。派手な黄色と緑の塗装が目立つ船体だが、中味は「スーパーエコシップ」と称していて、最新(らしい)。

 デザインには、故・柳原良平氏が関わっているらしく、随所に氏のイラストも使用されている。

 

↑ 乗船口のある4階甲板には、こんなディスプレイもある。

 

 案内所には、スタンプも置かれていて、専用?の台紙もあった。

 取り敢えず、特2等船室に向かい、荷物の収納とベッドメイキングをする。

↑ 特2等船室入口

 

 22時30分、定刻に橘丸は、三宅島・御蔵島経由で八丈島を目指し、竹芝桟橋から出帆した。

 暫くの間は、東京湾内なので穏やかだろうから、乗船口の傍にあった「ラウンジ」で、買ってきたビールその他で「セルフ壮行会」。ラウンジと言っても、テーブルとイスがあるだけのスペース。その隣はレストランになっているが、出港から1時間程度で終了し、その後は「談話室」として開放するらしい。

 日付が変わる頃、浦賀水道に差し掛かったあたりで、船室に引き上げた。

 横になると、途端にかなり強いローリングが始まった。やはり、波は高いらしい。

 

 翌朝、5時に下船しなければならないと思うと、そうそうぐっすりと眠れるものではないが、とにかく目を閉じた。

 1時間おきくらいに目が覚めてしまうのだが、それでも都合2時間程度はうとうとしただろうか。

 

 ~ つづく ~