昨年、私が小学生の頃、長崎の修学旅行で語り部の方の話を書きました!
昨年の記事はこちらです!
http://s.ameblo.jp/jrpr/entry-11907394722.html
私が気になるのは、昨年に横浜の中学校の男子生徒5人が修学旅行先の長崎の被爆体験の語り部に「死に損ない」と、暴言を吐いた事件、語り部が中学校に抗議し、男子生徒は、謝罪文を書いたとの事ですが、直接謝罪すべきです!とても、未成年と言えど、許せません!
今は何を考えているのでしょうか?
70年目の長崎原爆の日を迎えた9日、第97回全国高校野球選手権大会の第2試合に登場した長崎県代表の創成館ナインが試合開始直前、三塁ベンチ前で輪を作り、黙祷(もくとう)をささげました!
原爆投下時刻の午前11時2分には、三塁側アルプス席を埋めた約1400人の同校応援団が長崎の爆心地がある西側に向いて黙祷し、対戦相手の天理(奈良)の応援団も、創成館側に配慮して鳴り物の演奏を控えたそうです!


試合は接戦の末、3-2で創成館がサヨナラ勝ちを致しました!
創成館の嶋田力也選手は「特別な日に試合ができて誇りに思う。戦争の犠牲になり、野球ができなかった人の分までしっかり野球をしようと試合に臨んだ」
大田圭輔選手は「祖父から原爆のことはよく聞いていた。平和の中で野球をやる喜びを感じた」と話しました!
最後に小学生の頃、修学旅行のバスガイドさんが歌いました。原爆を許すまじの歌詞を
原爆を許すまじ
作詞:浅田石二、作曲:木下航二
1 ふるさとの街焼かれ
身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
われらの街に
2 ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの海に
3 ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの空に
4 はらからの絶え間なき
労働に築きあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
世界の上に
《蛇足》 昭和29年(1954)3月1日、アメリカは、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で「キャッスル作戦・ブラヴォー」と名付けた水爆実験(写真)を行いました!
このとき、160キロ東で操業していた静岡県焼津のマグロ漁船・第五福龍丸が死の灰をかぶり、約7か月後の9月23日、同船の久保山愛吉無線長が亡くなりました。
第五福龍丸被爆のニュースとともに、反原水爆運動が一気に盛り上がり、5か月後、原水爆禁止署名運動全国協議会が生まれました。
この歌が作られたのは、このころです。東京・大井の町工場の工員・浅田石二が作った詞に、都立日比谷高校の社会科教師・木下航二が曲をつけました。発表は昭和29年7月28日です。
亡くなった久保山無線長は、静岡県漁民葬において、静岡大生らが歌うこの歌で送られました。
核兵器、戦争は勝者、敗者もありません。ただ、不幸になるだけです。
8月15日終戦記念日です。