
まずは若松之間です!\(^_^ )

その奥が昭君之間です!

アングルを変えて、素晴らしい障壁画が

建具もいい仕事してますね~

これは京都の方で依頼されたそうです!
熊本城本丸御殿の工事の様子が本丸御殿にて、映像にて紹介されています!
昭君之間に移動

観光客で混んでます!

昭君之間の入り口です(*゜▽゜)ノ

漆塗りの折上げ格天井で、一つの格間が約90㎝四方で天井画には金箔の上に様々な植物の絵が描かれています(//∇//)

付け書院を備え、正面床には中国宮廷の漢の時代のお話で胡の国に送られた絶世の美女、王昭君(おうしょうくん)の物語を描いた障壁画が備えています!
王昭君は楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えらます。
物語の内容は前漢の元帝の時代、胡の王が、漢の女性を妻にしたいと、元帝に依頼したところ王昭君が選ばれました。
元帝は胡へ贈る女性として後宮の中の一番醜い女性を選ぶため、宮女の似顔絵帳の中の一番醜い女性を選ぶことにしました。
宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、似顔絵師に賄賂を贈っていたが、ただ一人賄賂を贈らなかった王昭君はわざと一番醜く描かれていた為、王昭君が胡の国への嫁として選ばれた(王昭君が絶世の美女でありながら、それまで全く元帝の目に留まることがなかったのも、絵師がわざと醜く描いた似顔絵のせいであった)。皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は、王昭君の美しさに仰天したが、この段階になって王昭君を胡の国へ贈る約束を撤回すれば胡の国との関係が悪化することは明らかだったため撤回はできず、元帝は不本意ながらも王昭君をしぶしぶ送り出しました。
その後の調査で、宮女たちから多額の賄賂を取り立て、賄賂を出さなかった王昭君をわざと醜く描いていた絵師の不正が発覚したため、激怒した元帝は絵師を斬首刑に処したと言います!

「昭君之間の秘密」
一番格式の高い部屋。実は「将軍の間」の隠語という説も。
「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語であるという説もあります。熊本城を造った加藤清正は豊臣秀吉子飼いの武将。その遺児である秀頼に万が一のときは、清正にはこの熊本城に秀頼を迎え入れ、西国武将を率いて徳川に背く覚悟があり、そのための部屋が「昭君の間」というのです。
また、昭君の間には抜け穴伝説もあります。熊本城築城に携わった大工の棟梁善蔵(ぜんぞう)が語った「大工善蔵より聞覚控」という古文書が残されています。「昭君の間のうしろに機密の間があつたこつも覚えとる。壁がめぐる仕掛けで、かべが一ちようきりつとめぐつと、ゆかの高さ六尺ばかりのところから、細かはしごで下におりつて、女の髪の毛でねりあはせたつなにすがつて下におり、それからつまるところはふじよう御門からあずき坂にでるやうになつておつた。」全て熊本弁で書かれているのですが、つまり「昭君の間の後ろの壁が回り、床下の通路にはしごと縄で下りれば、そのまま門をくぐって城外へ出れるようになっていた。」そうです。
そのほかにも鴬張りの廊下の話なども残っており、格式の高さとともに謎の多い建物でもありました。
次回はいよいよ天守閣へ\(^o^)/
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