深刻なのは不登校よりも強迫障害のほうが心配な息子。。
もちろん不登校は言葉にしていなくても息子も気にしてたし、
親としても気にしてました。(何度、うるさいくらいに言いたかったことか・・ジレンマの塊でした)
でも、息子がまた登校するというのには壁がより高かったんです。
強迫障害(になった原因)=学校に関するすべてのもの!!だったから!!!
登校するには・・学生かばん、制服、学生靴、教科書、ノート、筆箱、文房具など・・
必ず必要となるものがある。
でも息子にとって、それを触ることは苦痛以外のなにものでもないのです。
できたら目にもしたくないものなんです。言葉として聞くことさえも一時期嫌がってました
病院に入院してたとき・・院内学級に行っていたんですが・・
その時も、鉛筆や消しゴムは新しいものを使い、一回使うともうそれは次の時には
使えない触れない文房具になってました。
もっといえば、新しく買った筆箱も一回使っただけで
次の授業の時には触れることができなくなってました。
(その筆箱は今私がこっそりわからないようにつかってます。だってもったいないもん)
そして教室の椅子に座るのでさえも、背もたれには背中をつけないようにしてました。
(他の誰かわからない人が座ってたと考えると、座るということも正直つらかったのですが、
そこはぎりぎり浅く座っていたようです)
そんな息子だから・・高校に進学なんて・・その時の状態(中三)ではとてもとても無理!!
だから・・一年くらいは遅れる覚悟で高校進学をあきらめてました。
親としては一年たったころ・・・通信制高校とか考えてみたら・・と
会話のなかでさらっと言っていたのですが・・悲しいことにまだ無理のようでしたね。。
すぐには進学しないこと、できないことを覚悟はしてましたが・・
さすがに二年目になると、このままずっとなのか?いいのかこのままで?
中二の途中の勉強としての学歴しかない・・
こっちも焦ってくるしイライラも毎日ありました。
この二年目からの一年間が一番家族の中で空気が悪かったと思います。
3人で会話という会話がない!息子と旦那は絶対に話すことはないし
私と息子、私と旦那は視線を合わせずに最低限の会話で過ごすという
常にピリピリ、常になにかの不安定の嵐の渦の家庭。。
食事は旦那が先に食べて・・その後自分の部屋に行く
次に私が食べる・・・最後に息子が食べて・・という各一人食事という構図です。
いつか・・今にも・・私か旦那が爆発するんじゃないかという雰囲気であふれてました。
ちょっとした視線、ちょっとした大きな物音、誰かのくしゃみ、せきばらい・・リビングドアの開け閉めの音・・
おまけに窓を開け閉めして空気の入れ替えすることも絶対できないという、いつも密室状態な感じ
(窓を開けると外の汚い空気が入ってくる恐怖からです・・あ~~~めんどいわっ!)
リビングに3人でいると何をしていても心が落ち着かず・・いたたまれない日々が続きました。
進学しなくなって2年すぎたころ・・
突然、息子に変化がありました。
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