私が産まれる前には、南海本線にサハ4801形という客車が走っていたそうです。
走っていたという表現よりは、南海線内では2001形電車に引っ張られていたようです。
最近色々な記事や写真を投稿している人がたくさんおられますので、どんな客車であったか、どんな運用をされていたのか、というお話は今回は省略することにしますが、どうしても謎がいくつかあります。
謎1
難波発新宮方面行きの南紀直通列車では難波方最後尾に連結されていたそうです。
では難波駅入線時はどのように入線したのでしょうか?
「モユニが引っ張って来て、当時難波駅には機回し線があり、難波駅の手前で機回し線を利用してモユニと4801の前後を入替え、4801を難波駅に押し込んでモユニは車庫へ帰る。その後2001が入線し4801に連結して編成完成(^O^)/」という証言があります。
しかし不思議とそれらの写真を見たことがありません。
逆に新宮方面から難波への帰りの場合は簡単です。今度は和歌山方の最後尾に連結されてますので、
難波到着後にモユニが迎えに来て、4801のみを車庫に連れて帰ればオーケー(^O^)/
謎2
難波発新宮方面行きの南紀直通列車が和歌山市駅に到着した後の話ですが。
何が、どのように、4801を(天王寺から来る当時の国鉄の列車と連結する)和歌山駅へ引っ張っていったのでしょうか?国鉄の機関車が4801を1両だけ引っ張って行ったのでしょうか。
謎3
サハ4801型の車内はどんな様子、設備だったのでしょう。
指定席だったのでしょうか?それとも自由席で南海線内のみでも自由に乗り降り出来たのでしょうか?
南海の南紀直通列車については色々な記事があります。
そしてサハ4801形については電車が客車を引っ張るという珍しい運用でしたので、
上記1~3の謎についても情報が多数あろうかと思うのですが、今のところ謎のままです。
写真が無い(少ない)、情報が無い(少ない)、謎として残る理由として
運用が深夜や早朝であった可能性があります。
明るい真昼間の運用が多ければ、目撃談や写真が多数あろうかと思います。
いずれにしても興味の尽きない客車です。