インストラクターの資格の更新に際して
受講が要件になっている、
『乗馬指導者の資質向上に関する講習会』というのがあります。
「資質向上」とはいっても実際には指導技術についての話などはほとんどなくて、
主な内容は、乗馬レッスンにおける安全対策の重要性についての講義と、救急救命の実地指導です。
昨今の企業コンプライアンスや消費者保護の意識の高まりに伴い、
乗馬業界でも指導者の教育や監督に対する「世間の目」が厳しくなったことに対応して、
指導者資格が3年毎の更新制となり、さらに更新の資格を満たすためにこうした講習会の受講が必須条件となりました。
その講習の内容として、上述のような内容を必ず組み込むように、と管轄官庁からの指導があったのだということです。
そんなわけで、今回の講習会も、
事故を防ぐための措置を講じ、それを第三者にも認められるような形にしておくこと、
そして、事故が起こってしまった時に、何とか最悪の結果に至らずに済ませるような措置を行うことが、
乗馬施設の経営を守るためにいかに大切か、ということについて、
実際に落馬事故の被害者からのクレームを受け、警察や検察の事情聴取や裁判にも何度も関わったという協会の担当者の方が、生々しい体験談を交えつつ解説する、というのがメインでした。
その中で印象に残ったものを、ここでいくつか紹介させて頂きたいと思います。
まず一つは、
社会人サッカーの試合の接触プレーで骨折した選手が、敵チームの選手を相手に民事訴訟を起こし、250万円の賠償を命じる判決が出た(被告は控訴中)、という事例についての話。
これまでの常識では、サッカーや格闘技など身体的接触を伴うスポーツの試合では、
選手は、ルールが遵守されている限りにおいて、プレー中に怪我をしたり死亡する可能性については仕方がないと受け入れる、という「受忍の義務」を負う、というのが一般的な見解だったのに対し、
本件の裁判官は、「加害者」が危険性を予測しながら事故を回避しなかったとして、過失を認定したのです。
これはサッカーのみならず、あるゆるスポーツの関係者に衝撃をもって受け止められたようです。
乗馬で「受忍の義務」 と言えば、昔からよく言われるものに「馬に乗っていれば、落馬するのは当たり前だ」というのがあります。
それはある意味で真実ではあるのですが、実際に事故が起こった時、もし指導者や経営者がそのようなことを口にしてしまうと、「事故の起こる可能性を予見していながら、危険を回避する措置を怠った」とみなされ、捜査や裁判での心証を悪くするばかりか、
「未必の故意」を自白したのと同じことになって過失でも済まなくなってしまう可能性すらある、という話でした。
逆に、そこで被害者に対して「こんなことになってしまってすみません」などと謝ったとしても、それは「道義的責任を感じて」のことであって、そのことをもって法的に責任が生じるということはない、ということでした。
にもかかわらず、「謝れば過失を認めたことになる」などと考えて対応を誤り、
かえって被害者の「科罰感情」を増大させてしまうような事例が多いのだそうです。
また、施設で賠償保険などに加入している場合に、保険会社の弁護士が交渉に出てくると、少しでも支払いを少なくしようとするために、かえって被害者側と「揉めて」しまうことが多いので、
初めから自分で弁護士を立てた方が良い、という話には、さもありなんと思いました。
それから、一昔前の市民プールなどにあったような「施設内の事故については応急措置はいたしますが、 一切責任は負いかねます」というような免責の掲示は、利用者がそれに納得して契約したのでなければ、法的には効力を発しない、
という話や、
「契約自由の原則」の例として、
法律上の規定はないヘルメットやプロテクターベストの着用を拒んだ利用者に対して施設側が騎乗を拒否することは、サービス提供側の自由として認められる、
というような話もありました。
どちらも、これまでは「自己責任」ということでうやむやになっていたことですが、最近では変わってきているようです。
他には、この夏は特に話題になっている『熱中症』の予防のために、ペットボトルの飲料などを置いて「ご自由にどうぞ」などと掲示していても、
「水分を摂るように指導した」(『強制飲水』)という事実がなければ「危険回避の措置を講じた」と認められず、過失とされる可能性がある、
というような、
これまでの常識からするとちょっと信じられないような話もありました。
通常、「安全対策」とは、お客さんの事故防止のために色々な措置を講じたりすること言うことが多いと思いますが、
今日ではそれ以上に、いざ事故が起こった後の取調べや裁判のために、
「事故の危険性を予見し回避する為の措置を講じていましたよ、という証拠」を残す
ということが、
乗馬施設の経営や指導者自身の身を守るための、最も重要な「安全対策」となっている、ということが言えるでしょう。
「有事」に備えて、上記のような証拠を残すための文言を全て組み込んだ「注意事項」の口上を毎回のレッスンの度に暗俑したりするのは難儀なことでしょうし、
レッスンの度に毎回それを聞かされるのは、
指導を受ける側の皆さんにとっても煩わしいことだろうと思いますが、
「リスクの受忍」が通用しない現代社会では、何事も全てそういう感じになっていくのでしょうね。