自然に動く | 馬術稽古研究会

馬術稽古研究会

従来の競技馬術にとらわれない、オルタナティブな乗馬の楽しみ方として、身体の動きそのものに着目した「馬術の稽古法」を研究しています。

ご意見ご要望、御質問など、コメント大歓迎です。

  


  乗馬をされている方ならよく経験されることと思いますが、人間は、一つの動きに集中すると、他が疎かになって、「あちら立てればこちらが立たず」、というようなことがしばしば起こります。

  頭で考えて一度に処理できる情報量には限りがありますから、人間の論理・思考というのは、AのときはB、BならばCというように,せいぜい2つの事象の関係でものを捉え、それを時系列で並べていくことになります。

  てますから、こうすればこうなる、という論理で身体を動かそうとすると、ラジオ体操などのように、単一の支点で動く機械のような二次元的・平面的な動きになって、現実の乗馬のような三次元の動きとはズレが生じて、「あちら立てればこちらが立たず」となるわけです。

 頭で考えて出来る動き、言語で説明できるような動きというのは、明快でわかりやすい反面、それでできることはたかが知れている、ということが言えるでしょう。


 最近では少なくなったような気もしますが、スポーツの選手などがインタビューに答える際、「夢中で覚えてません」とか「体が自然に動きました」などと言うのを、見たことがあるのではないかとと思います。

 そういうとき、知識偏重の現代社会に生きる私たちは、彼らは「体育会系」でロクに勉強もしてきてないから、自分の動きを論理的に説明することができないのだ、などと、決め付けてしまいがちです。

 しかしそういう場合、彼らの行っている動きは本当に、意識で捉えたり論理で説明したりしきれないくらいの、普通の人が考えて行っているような動きとは全く質の異なる、三次元的・立体的な『自然な動き』になっている可能性があり、

そういうことを認識しているがゆえに、説明できない(しない)、ということなのではないか?とも思うのです。

 そのような動きは、高精度のカメラなどを使って動きを解析して、「ああするとこうなる」「こうだからそうなる」というように、あとから時系列で説明しようとしても、瞬間的に同時並列に起こっている身体各部の働きを完全には説明しきれないでしょうし、その説明もまた、本人の感覚とは随分異なっていたりすることも多いのではないかと思います。
 
 本人が全身で感じていること、同時並列で行っていることを全て、正確に言語に変換しようとしても、同時にいくつもの言葉を発することなどできませんし、仮にできたとしても、論理として理解することはできないでしょう。

  スポーツで昔から天才といわれるような名選手が必ずしも指導者として成功するとは限らない、というのも、そのあたりの事情による、技能の伝承の難しさということが関係しているように思います。 
 

  いわゆるオノマトペとか、単純明解なわかりやすい表現だけでは誤解を招く恐れがあるし、間違いのないように説明しようとすれば複雑すぎて理解しにくくなる、

といって、「習うより慣れよ」と放任したのでは、一握りの天才以外は「慣れ」の範囲でしか上達できない、ということになってしまいます。
  

 「don't  think」というように、子どもが頭で考えずに身体を動かすように自然に動ければ良いのですが、なかなかそうもいかないのが現実です。 

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  今さらただ何も考えず「自然に」動こうと思っても、呼吸が一分間に何回か自分で数えようとすると自然な呼吸ができなくなるように、「自然な動き」というのは考えて意識してやろうとしてもできないものですし、

これは馬にも言えることですが、現代では後天的な学習や生活様式の変化、間違ったトレーニングなどの影響などによって、既に本来の自然な動きができなくなっていることも多いからです。

 
 
 自然に動くには、まず、「自然な動き」というのがどういうものか、ということを知るところから始める必要があります。

 それにはまた、自然な動きというものを「科学的」に解析して頭で意識して行おうするようなものではなく、自然な動きとはこういうものだ、ということを、身体の感覚で認識(「体認」)しながら、「動きの質」そのものを変えていくようなものである方がいいでしょう。


 本質的な意味での「自然馬術」というのか、人馬がともに、本来できるはずの自然な動きを「体認」しながら養うことが出来るような馬術の稽古法、といったものを考えてみるだけでも、乗馬をより深く楽しめるのではないかと思います。