「人が育つ」組織

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  乗馬を含めたスポーツや武道、あるいは芸事などの世界にはたいてい、その種目や流派ごとに「〇〇協会」とか「〇〇連盟」といったような団体が存在し、会報誌を発行したりしているものだと思います。

  そうした組織の活動によって、それぞれの技術が継承され、競技の実情に応じてルールが改変されたりすることで、一般の人にも馴染みやすいものとして、広く普及することとなったものも少なくないでしょうから、そういっ意味で、こうした団体の存在意義は大きいと考えられます。



  ただ、そうした活動を行うにあたって、各人の技術のレベルを初心者や部外者にもわかりやすいような形で表す、というような必要が生じてくることになり、

そのために、統一的な評価基準を設けて、それを競技会の審査基準としたり、またそうした競技での実績をもって、段位や「指導員」「審判員」といった資格の認定条件としたり、といった方式を採用している団体というのは多いのだろうと思います。



それは、一見いかにも客観的でわかりやすい形で技術レベルが評価されることで、学習者に目標を与えることができたりといったメリットもあるわけですが、

その反面、段位や資格を維持するためには毎年団体へ会費などを納め続けることを求められたりといった負担が生じたり、

なによりも、そうした段位や実績によって団体に属している人の間にある種の序列のようなものを生んでしまう、という問題点があるように思います。


  そうしたことから、組織内の実力者の見栄や、師弟関係の縛りによるいわゆる「忖度(そんたく」」によって、審査の評価や人事が歪められるようなことが起こったり、といった事件が次々と明るみに出たりして








その団体の存在意義自体が既に乏しくなっているということも少なくないのではないかと思うのです。


 
   そうした権威や地位などには関心がなく、ただ純粋に技術を研究し、成長することにのみ興味があるような人にとっては

「A級審判の△△先生に教わっていた」とか、「〇〇流の師範だ」とかいうような肩書きを得るためだけの団体よりも、

そうしたものとは関係なくそれぞれの人が独自に技術を工夫研究しながら、緩やかに繋がっているような組織の方が、
より成長を実感しやすいかもしれません。



  人材育成、という観点からみても、
若いうちから礼儀作法を叩き込み、上下関係の序列に中で理不尽な扱いを受けることに慣らすことは、組織や社会の仕組みに適応できるような人を育てるという意味では確かに有効でしょうし、
習い事の目的をそこに置いているような親御さんも多いのかもしれませんが、

それはスポーツや芸事の、本来の目的ではないように思います。


  指導者に罵倒されながら、指導者自身も若い時にそうして叩きこまれて覚えたであろう「正しいとされているやり方」を、やみくもに繰り返すような練習だけでなく、

  まず指導者自身が学び、成長することを考えながら、「教える」というよりも、学びに来た人を一緒にプロジェクト研究をする仲間、同志として、
より有効な稽古方法の研究に巻き込んでいく、というような方法によって、
お互いが多くの「気づき」を得ることが出来れば、

その方がずっと、「豊かな精神を備えた人を育む」という意味では有効なのではないかと思います。
 

  乗馬のレッスンも、そのように自由で風通しの良い「学びの場」となることで、より多くの人にとって有益なものとなってくれることを願いたいと思います。