私が知らなかった童謡のはなし | しょうちゃんのブログ

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童謡と唱歌がまったく違うことに気がつかされました。

明治に入って国策として伊澤修二という人が中心になり、それまでドレミファソラシドの概念が無かった日本に童謡を多くの当時の文学者を総動員して教育の一環として作ったのが唱歌なんです。
滝廉太郎などが国費でヨーロッパに西洋音楽を勉強するために派遣されたのです。
歌詞も文学者らしく名文で作ってあります。日本人らしくあるためにとか、愛国心を育てるためとか、内容は教育的なものが多いのです。
ただ文語調で子供には難しいものでした。

大正半ばになって歌詞が難しすぎるからと、子供の目線にたって子供の言葉で口語体でという童謡をつくる運動がはじまったのです。
夏目漱石門下の鈴木三重吉が旗振り役で泉鏡花、高浜虚子、芥川龍之介、北原白秋、島崎藤村、小川未明、谷崎潤一郎、有島武郎、西条八十、菊池寛、三木露風など今から考えてもそうそうたるメンバーですねぇ。
作曲家も山田耕筰、成田為三、近衛秀麿、草川信、広田龍太郎、が参加しています。

私の知らない童謡の話でした。唱歌に対抗して童謡が出来ていたとは驚きました。唱歌より以前はわらべ歌なんですね。