【遠藤のアートコラム】シャセリオー vol.1 ~クレオールの画家~ | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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新古典主義の巨匠アングルのアトリエにわずか11歳で入門したテオドール・シャセリオー。彼の作品が醸し出すエキゾティシズムはどのように生み出されたのでしょうか。

 

今月は、国立西洋美術館 (東京・上野)で開催されている「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」の作品を紹介しながら、シャセリオーについてご紹介します。

 

■今週の一枚:テオトドール・シャセリオー《自画像》(※1)■

テオトドール・シャセリオー《自画像》1835年
ルーヴル美術館
Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF


―芸術に少しでも関心がある者のあいだでは、シャセリオーの思い出、
私が大いに愛したあの高貴で素晴らしい芸術家の記憶に
対する私の忠実なる思いは あまりによく知られています―

 

上記は、フランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モロー(1826-1898)の言葉です。

 

モローは、19世紀末の画家や文学者に多大な影響を与えた画家です。

しかし、デビュー当時には、「シャセリオーの模倣」と批判されることもあったとか。

 

それほど、シャセリオーの作品に影響を受けたモローは、崇敬する画家が37歳という若さでこの世を去ると、シャセリオーの「思い出」に捧げるオマージュを構想しました。

 

※2 ギュスターヴ・モロー《若者と死》1881-82年

パリ・オルセー美術館

 

《若者と死》と題されたモローの作品では、早逝したシャセリオーが月桂冠を掲げ、水仙を手に持ち、黄泉の国へ向かおうとする若者の姿として描かれています。

若者の背景には死の寓意が寄り添っています。

 

上の作品は、その油彩画を水彩画によって再制作したものです。

 

テオドール・シャセリオー(1819-1856)は、19世紀に活躍した早熟な天才画家でした。

 

当時のパリで最も注目を集めていたドミニク・アングル(1780-1867)のアトリエに入門したのは、なんと11歳。

 

若手芸術家の登竜門「ローマ賞」を受賞する画家を、次々と排出するアングルのアトリエにあって、年若いシャセリオーもまた師から将来を期待されていたそうです。

 

ある授業中にアングルは、最年少の弟子シャセリオーの前で足をとめ「見てみたまえ、この子はいずれ絵画のナポレオンになるだろう」と叫んだという逸話まで伝わっています。

 

パリの芸術アカデミーによる展覧会「サロン」にデビューしたのは16歳のことでした。

 

※3 テオドール・シャセリオー《放蕩息子の帰還》1836年

ラ・ロシェル美術館

 

上の写真、左側の作品《放蕩息子の帰還》は、デビューとなった1936年のサロンに送り、三等のメダルを得た作品のうちの一枚です。

 

放埓な生活の挙句、無一文になって帰った息子を、父親が咎めることなく受け入れる場面が描かれています。

聖書に登場する、このたとえ話を描いた背景には、シャセリオーが生まれ育った環境が関連しているのではないかとも考えられています。

 

1819年にテオドール・シャセリオーが生まれたのは、カリブ海のサン=ドマング島(イスパニョーラ島)でした。

「フランス国王の最も美しき植民地」とも呼ばれた地で、当時はスペインの植民地となっていました。今のドミニカ共和国です。

 

シャセリオー家は、フランスの港湾都市ラ・ロシェルの商人と船主の家系で、母は数世代にわたるサン=ドマング島の裕福な植民者でした。

 

生後2年で島を離れたシャセリオーでしたが、植民地生まれのフランス・スペイン人「クレオール」であることは、彼の作品や人生に少なからず影響を及ぼしているようです。

 

彼の父は、ナポレオンのエジプト遠征やサン=ドマング遠征で頭角をあらわし、サン=ドマングに住み着きました。波乱に満ちた生涯を生きた人物で、ある時はスペインからの圧政に対する自由と解放の戦いに身を置き、ある時はコロンビアに諜報部員として赴くなど、パリに住む家族と離れて暮らさざるを得ない日々が多かったようです。

 

どこか、若い頃のシャセリオーを思わせる顔立ちの若者と、息子を抱擁する父親の姿を描いた《放蕩息子の帰還》には、不在がちな父親に対する複雑な思いが込められているのかもしれません。

 

若くして画家となり、パリの芸術家やパトロンたちと交流したシャセリオー。

彼は、同時代の幾人かからは「不細工」だと断言されています。

しかし、誰もが認める優雅さをもち、洗練され、人一倍上品だったという証言もしばしば見られます。

 

美男ではなく、醜いという者すらいる一方で、女性を魅了する魅力を持っていたようで、恋愛生活は波乱に満ちていました。

 

※1 テオトドール・シャセリオー《自画像》1835年

ルーヴル美術館

Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF

 

こちらは、16歳頃に描かれた自画像です。

 

オリーヴ色がかった顔、厚い唇、少し強すぎる鼻といった、容姿の特徴を隠すことなく描きながら、左手を貴族のように上着の中に隠して佇む姿は、やはり品が良く魅力的ではないでしょうか。

 

簡潔な背景の片隅に描かれたパレットが、若い芸術家の職業を現しています。

 

フランス革命後、パリを席巻したのは「新古典主義」と呼ばれる芸術でした。

古代ギリシャやラファエロを中心としたルネサンス時代を理想とした芸術が流行する一方、個人の感情などを重視する叙情的で感情的な「ロマン主義」も台頭してきます。

 

一方で、ナポレオンの遠征や植民地政策により東方世界が近づいたことで、パリではスペインやトルコ、アルジェリアなど、異国情緒への憧れも流行するようになります。

 

クレオール生まれのアングルの弟子は、この後、新たな芸術の表現や、東方世界の風に触れ、師との決別を経ながら、「ロマン主義」の巨匠として独自の美を生み出していくのです。

 

続きはまた来週、シャセリオーについてお届けします。

 

参考:「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」カタログ

 


 

※1 テオドール・シャセリオー《自画像》1835年

ルーヴル美術館

Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF

 

※2 ギュスターヴ・モロー《若者と死》1881-82年

パリ・オルセー美術館

 

※3 テオドール・シャセリオー《放蕩息子の帰還》1836年

ラ・ロシェル美術館

 

 

<展覧会情報>

「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」

2017年2月28日(火)~2017年5月28日(日)

会場:国立西洋美術館 (東京・上野)

開館時間:午前9時30分~午後5時30分

毎週金曜日:午前9時30分~午後8時

※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜日(ただし、3月20日、3月27日、5月1日は開館)、3月21日(火)

※ただし、3月20日(月・祝)、27日(月)は開室

展覧会サイト:http://www.tbs.co.jp/chasseriau-ten/

 



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