【遠藤のアートコラム】ヴェネツィア・ルネサンスvol.2 ~異国情緒と風景~ | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

文化家ブログ 「轍(わだち)」

美術や紀行、劇場や音楽などについて、面白そうな色々な情報を発信していくブログです。

ヴェネツィア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニ。ジェンティーレ・ベッリーニの異母弟というのが通説でしたが、最近新たな説が登場しているそうです。

今月は、国立新美術館(東京・六本木)で開催されている「アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」の作品を紹介しながら、ヴェネツィアの画家たちについてご紹介します。

 

■今週の一枚:聖母子(赤い智天使の聖母)(※1)■

―小さな甥のティツィアーノになかなか絵心があると見てとるや、
頼んでジョヴァンニ・ベッリーニの家へ置かせてもらった―


上記は、ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)の著書『芸術家列伝』のうち、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノに関する記述の一節です。

16世紀ヴェネツィア派の画家といえば、たいてい2人の巨匠がまず挙げられます。
ジョルジョーネ(1477/1478-1510)と、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/90-1576)です。

そして、おそらくこの2人が兄弟弟子として修業したのが、ジョヴァンニ・ベッリーニ(1424/28?-1516)の工房でした。

上の作品《聖母子(赤い智天使の聖母)》は、そのジョヴァンニ・ベッリーニの作品です。

聖母マリアが、幼子イエスを抱きかかえています。

※1 聖母子(赤い智天使の聖母)(部分)


ヴェネツィアの絵画にはいくつかの特徴がありますが、この作品にはそれがよく見てとれるそうです。

ひとつはビザンティン美術の影響です。
ビザンティン美術とは、ビザンツ帝国とも呼ばれる東ローマ帝国を中心とした美術の様式です。
東ローマ帝国は、4世紀に東西分裂したローマ帝国の東側。
現在のイスタンブールにあたるコンスタンティノープルを首都に、およそ1000年にわたって続いていました。

その間に、キリスト教も西と東で独自の発展を遂げ、東では東方正教会が成立していました。
しかし15世紀、東ローマ帝国は、イスラム王朝のオスマン・トルコによって滅ぼされてしまいます。

ヴェネツィアには、オスマン・トルコに土地を侵略され亡命してきたギリシャ人がたくさん住んでいたようで、彼等の多くが東方正教会の特徴でもある、イコンと呼ばれる聖像を描く仕事に従事していたそうです。

ジョヴァンニ・ベッリーニによる上の作品は、ビザンティン美術を代表するイコンを当世風にアレンジしたものといえます。
ビザンティン美術のイコンよりも、人物は立体的で人間らしく、背景には遠近感が与えられています。

またヴェネツィアは、東ローマ帝国やエジプトなどのアラブ諸国を通じ、コショウなど、東南アジアの香辛料貿易の覇権を握っていました。

オスマン帝国のスルタンとも交渉し、商業活動を続けていたヴェネツィアには東方の文化が他国よりも色濃く流れ込んでいたようです。

ヴェネツィア派のもう一つの特徴が風景です。

海上の干潟に造られた人工的な街ヴェネツィアでは、その反動からか、豊かで情緒的な自然風景の描写が好まれました。

※1 聖母子(赤い智天使の聖母)(部分)


ジョヴァンニ・ベッリーニの作品の多くも、背後に美しい自然風景が広がっています。

絵の才能を見出されたティツィアーノが、ジョヴァンニ・ベッリーニに預けられたように、ベッリーニ一族の工房はヴェネツィアで名を馳せた工房でした。

その始祖は、ヤコポ・ベッリーニです。

ヤコポの時代、芸術の中心地はフィレンツェでした。
ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどが活躍し、ラファエロも度々滞在したフィレンツェは、ルネサンス時代のスターを育みました。
そして、彼等によって確立されたフィレンツェの芸術は、周辺諸国へと影響を与えていったのです。

ヤコポは、ヴェネツィアの絵画にフィレンツェの先進的な美術様式を取り入れた最初期の人物でした。

そして、ヤコポの2人の息子が、ジェンティーレ・ベッリーニ(1429/35-1507)と弟のジョヴァンニ・ベッリーニと考えられてきました。
ジェンティーレもまた当時のヴェネツィアを代表する画家です。

ところが最近、この一族の親子関係に新たな説が唱えられています。

ジョヴァンニ・ベッリーニの生まれ年は、確実な記録がなくはっきりしていません。
ヤコポの妻の遺書では、資産の相続者にジェンティーレの名はあるのに、ジョヴァンニが出てこないことから、彼はヤコポの庶子で、ジェンティーレの異母弟だと考えられてきました。

しかし、ジョルジョ・ヴァザーリはジョヴァンニが「90歳で亡くなった」と書いています。
没年から逆算すると、ジェンティーレよりも年長になってしまうのです。

このような、不可解なジョヴァンニの立場を説明する新たな説が登場しているそうです。
それは、ジョヴァンニが、ヤコポの息子ではなく「異母弟」であり、ジェンティーレにとっては「おじ」にあたるというものです。

年の離れた異母弟ジョヴァンニを、ヤコポが実子たちと兄弟のようにして育てたと考えると、ジョヴァンニがジェンティーレよりも早く工房から独立していたことや、ヤコポの妻の相続人から除外されていたことに説明がつくのです。

いずれにせよ、ヤコポ、ジョヴァンニ、そしてジェンティーレというベッリーニ一族は、ヴェネツィアの絵画に大きな影響を与えた画家一家でした。

※2 聖母マリアのエリサベト訪問


こちらは、ヴィットーレ・カルパッチョによる《聖母マリアのエリサベト訪問》です。

受胎告知を受けたマリアが、姉のエリサベトを訪ねる場面が描かれています。
この時エリサベトのお腹には、後にイエスに洗礼を施す洗礼者聖ヨハネが宿っていて、マリアの挨拶を聞くと胎内でその子が踊ったといいます。

通常この主題は、エリサベトの暮らす家の戸口が場面となりますが、この作品では、建物から離れた草地の上に描かれているため、周囲には動物や人物が点在し、背後の景観が広々と描かれています。

※2 聖母マリアのエリサベト訪問(部分)


切株に座っているのは、マリアに同行してきた夫ヨセフです。
聖母とヨセフの間に描かれている白いウサギは、「マリアの処女懐胎」を象徴しているそうです。

※2 聖母マリアのエリサベト訪問(部分)


石碑にもたれかかっているのは、エリサベトの夫ザカリア。
彼の近くに描かれている鹿は「救世主の到来への渇望」を象徴しています。

※2 聖母マリアのエリサベト訪問(部分)

 


※2 聖母マリアのエリサベト訪問(部分)


背景には、トルコ風の絨毯やターバンを巻いた男たちが描かれています。
東方貿易で栄えたヴェネツィアらしい、異国情緒あふれる作品です。

カルパッチョは、生の牛ヒレ肉を薄切りにし調味料をかけた料理「カルパッチョ」の名前の由来となった画家だとされます。

彼が同様の料理を好んだためとも、彼の作品は赤い色が印象的なことから、料理にその名が付けられたとも言われます。

※2 聖母マリアのエリサベト訪問(部分)


カルパッチョがどのように画家として修業したのかは知られていませんが、ジョヴァンニ・ベッリーニからも影響を受けているとされます。

また、彼の描く空間や背景には、美しい光とともにヴェネツィアの景観や風俗が細密に描き込まれました。
そのため、都市景観を描いた作品で知られるジェンティーレ・ベッリーニとともに、ヴェネツィアの風景画の歴史を刻む画家とされます。

フィレンツェのルネサンス芸術の影響を受けたヴェネツィア。
しかし、海洋都市として発展し、東方の文化に触れ、豊かな経済や自由を得ていたヴェネツィアは、明るい色彩、背景の風景描写、異国情緒などを特徴とした、他所とは一味違った作品を生み出しました。

彼等はヴェネツィア派として、フィレンツェ派の対立軸となっていったのです。

続きはまた次週、ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たちをご紹介します。

参考:「アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」図録 発行:TBSテレビ
 



※1《聖母子(赤い智天使の聖母)》ジョヴァンニ・ベッリーニ
油彩/板 アカデミア美術館

※2《聖母マリアのエリサベト訪問》ヴィットーレ・カルパッチョ
油彩/カンヴァス ヴェネツィア、ジョルジョ・フランケッティ美術館(カ・ドーロ)



<展覧会情報>
「アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」
2016年7月13日(水)~10月10日(月・祝)
会場:国立新美術館(東京・六本木)

開館時間:10時-18時
金曜日は20時まで
(入場は閉館の30分前まで)
休館日:火曜日

大坂会場:国立国際美術館
2016年10月22日(土)〜 2017年1月15日(日)
開館時間:10時〜17時  金曜日は10時〜19時
(入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、12月28日(水)〜1月4日(水)
ただし、1月9日(月・祝)は開館し翌日休館

展覧会サイト:http://www.tbs.co.jp/venice2016/
問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

 

 





この記事について