【遠藤のアートコラム】ラファエル前派vol.2~ロセッティのミューズたち~ | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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多くのモデルと恋愛に落ちた画家ロセッティ。彼の人生と創造は運命的な女性たちによって支配されました。

今月は、Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)で開催されている「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」の作品を紹介しながら、19世紀イギリスの絵画についてお届けします。

※1 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
《シビラ・パルミフェラ》1865-70年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Lady Lever Art Gallery

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―人生の円天蓋の下に、我は見た
 〈美〉が玉座につくのを。愛と死が
 また恐怖(おそれ)と神秘(なぞ)が、その社(やしろ)を守る―

『D.G.ロセッティ作品集』南條竹則、松村伸一(編訳)、岩波文庫

上記は、19世紀イギリスの画家ロセッティによるソネット(14行から成る詩)の一部です。
画家が、上の作品《シビラ・パルミフェラ》に添えたソネットは、後に『魂の美』と呼ばれます。
一方《リリス》という作品に添えられたソネットは『肉体の美』と呼ばれます。

ロセッティは、2作品を視覚的な美と官能性という女性美の二つの側面を示す作品として構想したようです。

《シビラ・パルミフェラ》とは、ヤシの葉を持つ巫女という意味だそうで、作品の中には多くの象徴や寓意が溢れています。

※1 シビラ・パルミフェラ(部分)

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左側に見えるのは、薔薇とキューピッド。
どちらも愛の象徴です。
キューピッドは目隠しをしています。
盲目の愛、もしくは、愛は盲目ということでしょうか。

※1 シビラ・パルミフェラ(部分)

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一方、右側には、ポピーと髑髏のレリーフ。
どちらも死すべき運命の象徴です。

※1 シビラ・パルミフェラ(部分)

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その間を飛んでいる蝶は、生きて旅立っていく魂の伝統的な象徴だそうです。

※1 シビラ・パルミフェラ(部分)

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彼女が手にしているヤシは、勝利の象徴。

「これぞ“美の女神”」と謳うソネット『魂の美』から、描かれた女性は美の偶像だと考えることができます。
「美」の偶像である巫女は、勝利のヤシを手にし、玉座に座っているのです。

どこか謎につつまれた、見るものの想像を刺激する作品です。

イギリスが生んだ最高の芸術家の1人とされる、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1865-1870)は、このように、神話や文学を背景とした女性像を多く描きました。

上の作品のモデルは、アレクサ・ワイルディングという女性で、ロセッティと出会ったときは、女優を夢見るお針子でした。
当時、モデルという職業はあまり好ましいものではありませんでした。渋る彼女をロセッティは熱心に説得して専属モデルの契約を結んだそうです。

そんな彼女は、多くの作品にその姿を残していながら、ロセッティと恋愛関係にならなかった数少ないモデルです。
ロセッティは、多くのモデルと恋愛関係にあったといわれ、とりわけ3人の女性が、彼の人生や作品に存在感を残しています。

最初に知り合ったのは「リジー」という愛称で呼ばれたエリザベス・シダル。
前回ご紹介した画家ミレイの最も有名な作品「オフィーリア」のモデルとなった女性としても有名です。
ロセッティは彼女に夢中になり、2人は恋人関係になりますが、別れてはまたよりを戻すということを繰り返していました。
もう1人は、画家仲間のアトリエに出入りしていたファニー・コーンフォースという女性です。
『肉体の美』のソネットを添えられた作品《リリス》のモデルは彼女です。
そしてもう1人がジェイン・バーデン。しかし、彼女は画家仲間のウィリアム・モリスと後に結婚してしまいます。

ロセッティは、イタリア人の父と、イタリアと英国の血を持つ母のもと、ロンドンで生まれました。
父がイタリア語を教える学校に通っていましたが、13歳でその学校を辞め、美術学校へ入学します。しかし、伝統を固守する教育を軽蔑し、当時通っていたロイヤル・アカデミー付属美術学校を辞めると、フォード・マックス・ブラウンという画家の作品に惹かれて弟子入りしました。
その後、ウィリアム・ホルマン・ハントと友人になり、ロセッティ、ハント、ミレイの3人を中心にした7人の若者によって、秘密結社「ラファエル前派兄弟団」が結成されました。

当時のイギリスの美術教育で、理想とするべき過去の巨匠の代表格がラファエロでした。
マンネリ化した美術教育にうんざりした彼らは、美のお手本が存在する以前の芸術家たちは、もっと描く対象や題材に対して誠実だったと考え、手本の代表格であるラファエロ以前の芸術へ戻ろうと主張。
主題に対して誠実であることを目指し、緻密な描写を試みました。

革新を目指す運動でありながら、ルネサンス以前の過去へ着目するという、一見矛盾を孕んだこの団体ですが、イタリア文学や中世の物語を主題に、彼らの時代の苦悩や愛を、繊細で優美な表現で描き出しました。

しかし、若者たちの思惑や絵画の方向性はやがて揃わなくなっていき、わずか5年ほどで自然消滅してしまいます。

※2ウィリアム・ホルマン・ハント
《イタリア人の子ども(藁を編むトスカーナの少女)》1869年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

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こちらは、ラファエル前派兄弟団の創始者の1人、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)の作品です。
彼の作品としては珍しい主題ですが、当時のイングランドの好みに応えたのか、愛らしく純粋な子どもの様子が描かれています。

ハントは細密描写によって、宗教画や風俗画を描き、ラファエル前派当初の方針を最後まで貫いた画家でした。

ミレイは社交界との関係を重視し、反発していたはずのロイヤル・アカデミーの会員となります。

一方ロセッティは、神話や物語、詩を背景にしながらも、独特の女性像へと至るのです。

ばらばらになったラファエル前派でしたが、ロセッティのもとには彼の作品に魅了された若い画家たちが集まり、ラファエル前派第2世代の画家たちが誕生します。

※3 エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ
《フラジオレットを吹く天使》 1878年 水彩、グワッシュ、金彩・紙
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

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こちらは、ラファエル前派第2世代の中心的な人物、エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833-1898)の作品です。
油絵の具が生まれる前に主流だったテンペラ画のような雰囲気を持っています。

エドワード・バーン=ジョーンズとウィリアム・モリスといった若手の画家たちは、ロセッティから引き継いだアトリエで制作していました。
ロセッティもたびたび出入りするこのアトリエに、モデルとして出入りしていたのが、ファニー・コーンフォースです。
娼婦でもあった彼女は、ほどくと床にまで届く長い金髪の持ち主だったそうです。
彼女もロセッティの恋人兼モデル兼家政婦となります。

一方、婚約していたリジーと、なかなか結婚に踏み切らなかったロセッティでしたが、出会ってから10年がたった頃、リジーは病にかかり、医者に長く生きられないのではないかと危ぶまれてしまいます。そうしたこともあり、1861年にようやく2人は結婚式を挙げたのです。

しかし、1年後、リジーは女の子を死産。彼女は精神を病み、麻薬であるアヘンチンキを常用するようになり、ついには、自殺か事故か、アヘンチンキの過剰摂取で亡くなってしまいました。

ロセッティは、リジーの棺に、彼がそれまで書き溜めてきた詩を入れて弔いますが、病床のリジーをないがしろにした罪の意識だったのでしょうか。
悔恨と良心の呵責に苛まれるようになり、酒と麻薬に溺れていきました。

そんな彼が後半生、執拗に描いた女性がジェインでした。
友人ウィリアム・モリスの妻となっていましたが、ロセッティは彼女に執着し続けます。
2人の間の恋愛感情をモリスも半ば公認していたともいわれますが、どれほどの仲だったのかは分かっていません。


『リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展』展示風景
左:ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
《パンドラ》1878年 カラーチョーク・紙

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《パンドラ》という作品は、ジェインをモデルに描かれていますが、彼女の持つパンドラの箱の側面には、「希望が最後に残った」という銘が刻まれています。
その真意は、いつかは一緒になりたいという願いだともいわれます。

ロセッティは詩人でもあり、生涯、画家としてやっていくか、詩人としてやっていくか悩むほどでした。
ダンテ学者の父から、チャールズ・ゲイブリエル・ダンテという名を与えられたロセッティは、
詩人ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)を深く尊敬し、彼の詩を題材にした絵画も数多く描いています。

そんなロセッティは、1869年、詩集を刊行することを思い立ちます。
しかし、初期の詩は、リジーとともに墓の中。
取り戻すには、妻の墓を掘り返すしかありません。
ロセッティはためらったものの、秘書の強い勧めもあり、法律上の手続きをしてこれを実行に移したのです。
この手稿をもとに刊行された詩集は、批評家たちから絶賛されたそうです。

しかし、その後、ある批評家が彼の詩の官能性を激しく非難します。
ショックを受けたロセッティは、亡き妻の墓をあばいた罪の意識や、実らないジェインへの想いもあいまって不眠症が悪化。
精神に錯乱をきたし、リジーと同じくアヘンチンキを服用して自殺を図りました。

この自殺は未遂に終わりますが、この頃のロセッティは世捨て人同然。やがてファニー・コーンフォース以外の友人を遠ざけるようになります。

それでも絵画と詩の創作は続けていましたが、酒と薬物への依存は極限にまで達していました。
そして1882年、友人の勧めによって療養のために赴いたケント州のリゾート地でその生涯を閉じたのです。

ロセッティは、彼のミューズとなった女性たちを「スタナーズ」と呼んでいたそうです。意味は「(見るものを)気絶させる人々」だとか。

彼の理想とする女性像は、背が高くて首筋や姿が美しく、男性的なしっかりした顎に、ふっくらとした唇。そして豊かな髪。
どこか物憂げで気高く、近寄りがたい雰囲気を醸し出す女性でした。
一般的な美女像とは少し異なったロセッティ美女は、強烈な個性で人々を魅了します。

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ロセッティは、彼のミューズたちから理想の女性のイメージを抽出したのか、描き残された彼女たちの容貌はどこか似通っています。

しかし、3人の役割は異なっていました。
妻となったリジーは、ロマンティックで、繊細で、精神的な作品へ。
対照的にファニー・コーンフォースは、開放的で官能的な作品へ。
恋い焦がれたジェーンは、理想とする完璧な女性像となって作品に残されました。

ロセッティが焦がれ、翻弄された「美」の持つ力は、彼に絵筆を奔らせ、詩をよませました。
《シビラ・パルミフェラ》に描かれた、生と死を背景にして玉座に君臨する「美」の化身は、彼の創造と人生を支配した象徴的な存在なのかもしれません。

参考:「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」カタログ 発行:有限会社 アルティス


※1 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 《シビラ・パルミフェラ》 1865-70年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Lady Lever Art Gallery

※2 ウィリアム・ホルマン・ハント 《イタリア人の子ども(藁を編むトスカーナの少女)》 1869年 油彩・カンヴァス
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

※3 エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ 《フラジオレットを吹く天使》 1878年 水彩、グワッシュ、金彩・紙
© Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery


<展覧会情報>
「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」

2015/12/22(火)~2016/3/6(日)
*1/25(月)休館

会場:Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)
開館時間:10:00-19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
展覧会サイト:http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_raffaello/
問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600




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