◆マージー・サイド [ * Merseyside * ]
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◆ "サー"  ポール・マッカートニー LIVE❗️
Out There Japan Tour 2015
2015年4月21日(火)大阪ドーム(京セラドーム大阪)
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525日ぶりナニワ降臨‼️ 再々来日公演❗️

あらゆる面で我が人生の転機になった、前回の2013年11月の来日公演から、1年5ヶ月…昨年のアクシデントでの再来日公演延期のリベンジとしてこの日を迎えた。

まず、彼がいなければ、現在のロック・シーンは間違いなく、まったく違うものになっていた事は決して過言では無い。

そして、彼が全世界の多くの人々の人生そのものを、変えてきた事も誰もが知っている。

この夜は約30分押して始まったパフォーマンス、オープニングは予想さらた「Magical Mystery Tour 」

前回公演からの変更はこのオープニングと「 Can't By Me Love 」「 Jet 」そして世界初パフォーマンスとなった新曲「 Hope Of The Future 」くらいで基本同一ツアーに沿ったもの。

しかし、さすが世界の御大、強靭なセットリストで約4万人のオーディエンスを終始圧倒!

すべてが超名曲、キラー・チューンの連発オンパレードには涙無くしては観れない(涙)

間も無く73歳となる "サー"  ポール!その偉大なるレジェンドにこの日も深く敬服した。

「また、会いましょう」とポールは言ってくれた。

23日からの東京ドーム、武道館、ソウル…このアジア・ツアーが無事を終わる事を願い、アリーナから地上に出た。

会場では、世界屈指のポール信者である「ラピス」増田さん、そして、増田さんの従兄弟のミノルさんにもお会いすることが出来た。

同伴して下さったKさんも含めて、この素晴らしいライヴの夜を共有していただいた、多くの皆さんに感謝とお礼を言いたい。

そして、もちろん "サー"  ポールのメンバー、スタッフ、関係者さんにも!

リードのラスティさん、今回もカッコ良かった(笑)

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◆セットリスト

01 Magical Mystery Tour (The Beatles song)
02 Save Us 
03 Can't By Me Love (The Beatles song)
04 Jet(Wimgs song)
05 Let Me Roll It  (Wings song) with "Foxy Lady" by Jimi Hendrix snippet
06 Paperback Writer (The Beatles song)
07 My Valentine 
08 1985 (Wings song)
09 The Long and Winding Road (The Beatles song)
10 Maybe I'm Amazed 
11 I've Just Seen a Face  (The Beatles song)
12 We Can Work It Out  (The Beatles song)
13 Another Day 
14 Hope Of The Future
15 And I Love Her  (The Beatles song)
16 Blackbird  (The Beatles song)
17 Here Today 
18 New 
19 Queenie Eye 
20 Lady Madonna (The Beatles song)
21 All Together Now  (The Beatles song)
22 Lovely Rita  (The Beatles song)
23 Eleanor Rigby  (The Beatles song)
24 Being for the Benefit of Mr. Kite!  (The Beatles song)
25 Something (The Beatles song)
26 Ob-La-Di, Ob-La-Da (The Beatles song)
27 Band on the Run (Wings song)
28 Back in the U.S.S.R. (The Beatles song)
29 Let It Be  (The Beatles song)
30 Live and Let Die  (Wings song)
31 Hey Jude  (The Beatles song)

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32 Day Tripper  (The Beatles song)
33 Hi Hi Hi (Wings song)
34 I Saw Her Standing There  (The Beatles song)

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35 Yesterday  (The Beatles song)
36 Helter Skelter  (The Beatles song)
37 Golden Slumbers (The Beatles song)
38 Carry That Weight  (The Beatles song)
39 The End (The Beatles song)
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昨夜は急遽、堺東にあるミュージック・カフェ「ピアノン」へ『 Lapis 』増田さん、puff puffさん、粋々ペンギンさんのLIVEを応援に来ました🎵
ラウンジ風のスペースは音響も良く、気持ち良い音楽を堪能しました❗️
「粋々ペンギン」さんのオール・ビートルズ・ソングの安定感あるパフォーマンス❗️
「puff puff」さんのパワフル昭和歌謡、Newアレンジで素晴らしい❗️
「Lapis 増田さん」のベースを抱えてのビートルズ・ソング❗️先週聴けなかったのでこの日、聴けて最高でした ‼️
それにしても、マルチ・アーティストが多すぎて、圧倒されます。。
皆さま、今夜はありがとうございました🎶

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◆ Mumford & Sons 
UKオルタナティヴ・フォークロック・バンド「マムフォード&サンズ」が帰って来た‼️

一時は「バンドは終わった」と、発言し解散かと思われたマルチ・プレイヤー集団だったが、ついに3年振りのサード・アルバム「ワイルダー・マインド」が完成❗️(5月4日リリース予定)
先日、公開されたティーザー映像を観ると
かなりハードでタイトな演奏の映像でおのずと期待が膨らむ。

ティーザー映像⤵︎
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あのロバート・プラントが評して「いま世界をひっくり返せさせれるバンドだ!」と最大級の賛辞を送った!
デビュー作「サイ・ノー・モア」は全世界800万枚、セカンド「バベル」全英米共に首位を獲得、あのビートルズに並ぶ6曲同時チャートインの快挙、そして神様ディランとの共演したグラミー賞や英国アワードにノミネート多数、一躍世界のメイストリームへと踊り出た。
そして世界のフェスでは完全なヘッドライナー・クラスながら、2年前のフジロックで奇跡の初来日を果たした。(トリから3番目)
その現場にいたが、ただただ圧巻の、ライヴ・パフォーマンスに圧倒され、その記憶は今も脳裏から離れない。
すべてのメンバーがあらゆる楽器をこなし、バンジョーにマンドリン、コントラバス、ドブロまで操る演奏力はもはやアルバム・キャリア2作品だけのバンドとは思われないスケール。

サウンドはトラディショナルなフォークをベースに、ブルーグラス、カントリー調もクロスオーバーし、ノスタルジックさを漂わせながら、ドラマティックにソウルフルに、卓越したメロディー&コーラスが冴える、そして時にはアンセミティックなパワーロックをも…
とにかく、彼らは規格外と言っていい、アンサンブル、ソングライティング、ヴォーカリゼーション、リリック、アジテーションその全てにおいて、非の打ちようの無いほどの完成度マクシマムにあるバンドと言える。

Mumford & Sons 「Hopeless Wanderer」
2011英国グラストンベリーフェスより⤵︎
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3月5日ミニマムーンの夜、東京では奇跡が起きた‼️
レジェンド「Crosby, Stills & Nash」20年振り来日公演の初日に、ジャクソン・ブラウンが急遽飛び入りし、グラハム・ナッシュと共演、あの反戦歌「The Crow On The Cradle」を披露したらしい(涙)

1979年ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンで行われた「No Nukes (原子力発電所建設反対運動/反核運動)」コンサートでグラハム・ナッシュと共にこの「The Crow On The Cradle」を披露。
また、1986年に開催された「JAPAN AID」でも、ジャクソン・ブラウンがディビッド・リンドレーとパフォーマンスした。
この楽曲はあのピート・シーガーやジュディ・コリンズも歌ったメッセージ・ソングで、英国の詩人「シドニー・カーター」の作品。


『 THE CROW ON THE CRADLE  』

牧草地には羊
小麦畑には牛
今まさに赤ん坊が生まれようとしている
その子は月を見て笑い
お陽さまを見ようと泣き叫ぶだろう
男の子なら やがて銃を持つことになる
ゆりかごの上の一羽の烏がそう歌う

この赤ん坊が女の子なら
巻き毛でなくても気にするな
指輪をはめてやり
つま先には鈴をつけておやり
その子がどこへ行こうと 頭上には爆撃機
ゆりかごの上の一羽の烏がそう歌う

ゆりかごの上の一羽の烏
黒か白か
誰かの赤ん坊が生まれるのは戦争に行くため
ゆりかごの上の一羽の烏
黒か白か
誰かの赤ん坊はもう戻って来ない
ゆりかごの上の一羽の烏がそう歌う

お前の父さんと母さんは額に汗して働き、金を貯める
おまえの棺を作 り、墓に埋めるために
おやすみ 幼子よ めそめそ泣くのはおよし
おまえが眠りにつけるようにおもちゃをあげよう
ゆりかごの上の一羽の烏がそう歌う

私の銃をもってこい あの鳥を撃ち殺してやる
そう言ったのはおまえの母さんと父さん
ゆりかごの上の一羽の烏 私たちに何が出来ようか
このことはおまえにまかせたままにする
ゆりかごの上の一羽の烏がそう歌う
ああ、これはおまえにまかせるしかないこと
ゆりかごの上の一羽の烏がそう歌う

1986年「JAPAN AID」
http://youtu.be/Ex8e8PsT54A

かつて、クロスビー、スティル&ナッシュとジャクソン・ブラウン関係では、CS&Nの名曲「Wooden Ships」のアンサーソングとしてJ.B.は「For Everyman」を書いたというのは有名な逸話。
前者が "選ばれしものたちが木の舟に乗って旅立つ" と言ったあの時代を象徴した幻想物語に対して、後者は"結局はすべてが普通の人(Everyman)を待ち続けることに繋がっていくんだ" その歌は、誰かが取り残されるようなユートピアを目指すよりもみんなで次へ進んで行くのがいいと…彼なりの宣言とも言える。
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◆ 友部正人 ( 1950年、東京生まれ65歳、ニューヨーク在住。
孤高の吟遊詩人、ジャパニーズ・フォーク・シーンの生ける伝説「 友部正人 」さんのLIVEパフォーマンスを心斎橋で観た‼️

 
□ 2015.02.26 大阪・心斎橋 music club JANUS
友部正人 LIVE 『バス停で待っている』 

アンコール・ラストでの不滅の名曲「一本道」ではもう号泣状態で…立ち上がれないほどのカタルシスを感じた。

1996年以来ニューヨーク在住。極寒のNYから帰国し、デビューゆかりの地、大阪からライヴ・ツアーをスタート。大阪は暖かいねと簡単なMC。
今回は詩集の発売に合わせてのもので、ライヴ中にポエトリー・リーディングを挟みながらの、約2時間のパフォーマンス!
ギター1本に、ハープ、最小限のピン・スポットでの弾き語りアンサンブル。そのほとんどがシンプルなストロークだ。

オーディエンスも息を飲むようにその刹那を待つ。
そして訪れる鋭く降り注ぐリリックの雨たち…ときには痛烈なアイロニーを混ぜ、唯一無二の存在感をそこに示す。

「大阪へやって来た」
彼の原点となったこの金字塔ソングで今日いちばんの拍手が起こる
友部正人が一人、アコースティック・ギターを掻き鳴らし,ブルースハープが鳴り,彼のしゃがれ声でトーキング・ブルースを謳う。
それは叫ぶようでもあり、語るようでもあり、話しかけるようでもある。
この曲を初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。本当にフォークソングを聴いて初めてぶっ飛んだ、そして、ただ打ちのめされた。

"南へ下る道路には避難民があふれ,僕は10トントラックで大阪へやって来た。インターチェンジはいつも雨で匂いでいっぱいだから,僕は痩せて立つ…"

冒頭から畳み掛けるトーキング・ブルースが、描く情景や感情を表すリリックがマシンガンのように次々と放射される様はただただ圧巻の一言!

"あれはいけない,これがいいのさ。でももう結構。僕は誰が素敵な奴かを知っている…".

"誰かが言ってたっけ,お前は気楽に暮らしていていいって。冗談じゃない!何が気楽なもんか。いつまでたったって落ち着く当てもなく,まるで意気地がないまま,まだフラフラしている…"

70年代という時代を映し出すようなラジカルさと焦燥感が、この楽曲の端々からにじみ出ている。
生でこの曲を聴けて本当に良かった!アウトロのハープをくわえて躍動するすがたは、その年齢を感じさせない。
 

 

そして近年の作品で、前から気になっていた「日本で地震があったのに」をこの日、きちんと聴いた。タイトルどおり3.11の東日本大震災を歌ったものだ。そこには…

" 日本で地震があったのに 僕は100%ここにいる
日本に息子がいるけれど 僕は100%ここにいる
僕が100%ここにいるってことは 100%そこにいないってことだ
だけど僕は抜け穴を見つけるよ ふたつの100%にひとつずつ

ヘリコプターが僕に水をまく 僕の夢の中は水浸し
ヘリコプターが僕に水をまく 僕は使用済み核燃料を持って立っている…"

そこで不思議に思った。完全に彼の視点の違いにまた強い衝撃を受けた。とてつもない感覚に陥った。疑問符が頭の中を巡った…。
まさに他の追随をゆるさない詩のレベル、彼のアイディンティティがそこに垣間見られた。

そして、友部正人、最大の名曲「一本道 」の衝撃は本家『ボブ・ディラン』を超えていると言っても過言ではない。
これまでに、数多の和製ディランはいたが、彼以上にその域に入る者はいない。
あの吉田拓郎さんでさえ「一本道 」の歌詞に触れ

"何もなかった事にしましょうと
今日も日が暮れました
あヽ中央線よ空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され…"

そのフレーズに拓郎さんは、友部正人に屈服したと言う。

"ふと、うしろを振り返ると、そこには夕焼けがありました…" 

その歌い出しであの頃の思春期から少年時代の様々な感情がフラッシュバックする。
行き場のない情熱や、やるせなさ、焦燥感そんな蒼く甘酸っぱい思いの数々が甦る。
こんな詩を吐き出してきた彼の言葉に、シンクロしながら、やはり天才だと感じずにはいられない。
間違い無く彼は、自分の身代わりに命を削っても真髄を追求してくれる吟遊詩人・友部正人なんだと言える。

だからこそ友部正人さんに影響された、アーティスト、著名人はこんなにもいる。

坂本龍一、遠藤賢司、長渕剛、佐野元春、松本隆、高田渡、甲本ヒロト、真島昌利(元ブルーハーツ)、町田康、寺岡呼人、宮沢和史(ブーム)、森山直太朗、どんと、たま、SION、永嶋しんじ、おおたか静流、大塚まさじ、矢野誠、峯田和伸、双葉双一、山口洋(ヒートウェーブ)、遠藤ミチロウ(スターリン)、リクオ、北川悠仁(ゆず)、山口一郎(サカナクション)、谷川俊太郎、村上春樹、など枚挙にいとまがありません。

例えば吉田拓郎さんが、メインストリームをいく大河だとするならば、友部正人さんはその横を静かに流れる湧泉…小川となって清らかなに流れる。
なんのメタファーを持たないイノセンスに包まれた言葉は生きてる言葉だ。
お世辞にも上手いとは言えない音程で、決して特別な事はしないギター・アンサンブルで、ただそこに佇んで強靭な言葉をただ、ただ紡いでいる。
剥き出しの言葉をただ、ただ歌っている。

◇「大阪へやって来た」
◇「一本道」

ライヴ終了後、3月1日発売の新しい友部さんの詩集を買い、握手とサインもして頂けたました♪

外に出ると暖かい雨はもう止んでいて、少し冷たい空気が感じた。
友部さんの住むニューヨークから運ばれた空気かもしれないと思いながら帰路に…。
 

 == 友部正人 ディスコグラフィ ==

◆1972年1月『大阪へやって来た』

◆1973年 1月『にんじん』

◆1973年10月『また見つけたよ』

◆1975年3月『誰もぼくの絵を描けないだろう』 

半年間のアメリカ放浪を経て帰国後の1975年、坂本龍一がピアノで参加した『誰もぼくの絵を描けないだろう』(「おしゃべりなカラス」収録)をリリース。これが坂本龍一、初のプロとしての仕事となる。

◆1976年8月『どうして旅に出なかったんだ』

スカイドッグ・ブルースバンドをバックにレコーディングした『どうして旅に出なかったんだ』が、収録曲「びっこのポーの最後」のタイトルと歌詞に差別的表現があるとして回収の憂き目に遭う。(「ちびっこのポーの最後」に改題して乗り切ろうとしたが、駄目だったと述懐したことがあるが、真偽は不明。その後1983年までメジャーレーベルとは無縁となる。)

◆1980年4月『なんでもない日には』

◆1981年4月『1976』

「びっこのポーの最後」の新録版を含む『どうして旅に出なかったんだ』を『1976』と改題してそれぞれ自主リリース

◆1983年6月『ポカラ』

◆1984年4月『カンテ・グランデ』

◆1987年2月『 6月の雨の夜、チルチルミチルは 』

◆1988年4月『はじめぼくはひとりだった』

◆1989年7月『 夕日は昇る 』

◆1991年2月『ライオンのいる場所』

◆1991年6月『ベスト・セレクション』

◆1992年3月『けらいのひとりもいない王様』「友部正人&たま」名義。

◆1992年5月『遠い国の日時計』

◆1993年3月『ぼくの展覧会』

◆1994年6月『雲のタクシー』「友部正人&矢野誠」名義。

◆1994年11月『奇跡の果実』

◆1996年9月『夢がかなう10月』

◆1997年9月『少年とライオン』

◆1997年9月『イタリアの月』

◆1997年11月『ブルースを発車させよう』

◆1999年2月『読みかけの本』

◆2001年11月『休みの日』

◆2003年1月 『LIVE! no media 2002』

◆2003年9月『あれからどのくらい』

◆2004年5月『何かを思いつくのを待っている』

◆2005年11月『Speak Japanese, Amarican』

◆2008年3月『歯車とスモークド・サーモン』

◆2009年6月『二つの午後』「LDK」名義(ふちがみとふなととのユニット)。

◆2010年2月『ロックンロール、やってます』「友部正人と三宅伸治」名義。

◆2010年9月『クレーン』

◆2013年5月『ぼくの田舎』

音楽を聴き始めて約38年…

ギターを買って約30年…

ギターを弾き初めて15ヶ月…

いよいよ、初ステージに立ちます ♪
2曲だけですが弾き語りをします!!

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ベン・ワット トリオ LIVE!!
( Ben Watt with Bernard Butler , Martin Ditcham )
@梅田クラブ・クアトロ  2014.11.26

UKネオ・アコースティック・ディオの至宝 " エヴリシング・バット・ザ・ガール"の " ベン・ワット " がソロ・ツアーで来日公演!!
歴史的名盤『ノース・マリン・ドライヴ』以来、31年ぶりの新作セカンド・アルバム『ヘンドラ』を今年リリースしサマーソニック2014で奇跡の来日も果たした彼が今回また日本に戻って来てくれた!単独ツアーでの来日公演が実現!

 

メンバーは " ベン・ワット " (ヴォーカル、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギター、エレクトリック・ピアノ)

 
元スウェードの " バーナード・バトラー "(エレクトリック・ギター)、元トーク・トークetc の " マーティン・ディッチャム "(ドラム、パーカッション)
 

ずっとベン・ワットとトレーシー・ソーンが組んだディオ "エヴリシング・バット・ザ・ガール" が好きで、そのバンドが活動休止中でなかなか観れなかったけど、今回ベン・ワットが31年振りのアルバムをリリースし、このツアー・メンバーに、あのバーナード・バトラー参戦!というニュースのも聞き、やっと "ベン・ワット " 円熟のパフォーマンスが観れた🎶

 
そして、バーニー(バーナード・バトラー)は "スウェード" としての初来日公演(1993年)を今は無き"サンケイ・ホール"で観て以来、ひさびさに観ました!
ホント現在も相変わらずのイケメン過ぎでギターが上手い♪今はプロデュース業などで忙しいそうだが、やはり自身のソロ作でも作って欲しい!
ここでは終始、エレクトリック・ギターをフィンガー・ピッキング!
エレキなのにピックを全く使わないんだ…とガン観(笑)
3列目に陣取ったんで、距離が近いし最高のアンサンブル、その旋律に酔った
 
ベン・ワットが今回は(サマーソニックの時と違い)ドラムがいるよ、とマーティン・ディッチャムを紹介した。彼はウォーターボーイズやストーンズとも仕事をした事があるんだ、と紹介。
やはり、アコースティック・ユニットでもドラムが入りバンドサウンドになると厚みが全然違う
 
ライヴのほうは、金字塔アルバム『ノース・マリン・ドライヴ』からと新作『ヘンドラ』から選ばれた全15曲(アンコール3曲含む)を中心に演奏。
やはり『ノース・マリン・ドライヴ』からの楽曲はより拍手が大きい。
もちろん、"エヴリシング・バット・ザ・ガール" のときの楽曲も2曲披露してくれた。
 
新作からの『ヘンドラ』の楽曲も粒揃い、アコースティックに原点回帰した名曲が多い、そして、今回バーニーとの共作になっている「ナサニエル」と「フォゲット」ではこれまでにないロック色を、携えた新機軸だろう。
 
終盤、エレクトリック・ピアノでの弾き語りの途中、ピアノの調子が悪くなりアンコールで演る予定の "Spring" を、急遽、ロバート・ワイアットとのEP収録曲 "A Girl in Winter" をギターで弾き語りするレア楽曲披露の超サプライズ♪
 
歌うまえに、歌詞を間違えるかもしれないけどと、ベン・ワットが前置きしながら歌いきった。

 
会場に向かう途中、小雨が降っていた。素晴らしいライヴが終わり、外に出ると雨は上がっていた…。
優美な時間が漂う、感動的なパフォーマンスだった。
19歳の時に作ったファーストから、31年もたってセカンド・アルバムが出て、こんな夜が来るとは、誰が想像しただろうか?!
アコースティックがベースでも、歌の、演奏の基本は、感情でありエモーショナルであり、パッションである。
厳かに、繊細に、哀愁や切なさ、メランコリー…そう言った蒼くパーソナルなセンチメンタリズムを、想いとともにそれぞれの胸のなかにそっと入り込んで、震えるほどに心を揺さぶられる。