スピリチュアルの道には様々な手法があります
瞑想、ヨガ、セックス(性錬金術)、ボディワーク、ヘミシンク、魔術、呼吸法、神がかりの手法などなど…
私も色々な道や人をたどりましたが、自分に合っていたのはメディスン・セレモニーだったようです
この先、また別の道を見つけるのかもしれません
いずれの道も尊く、それらの道を遺してくれた先人、そしてそれらの可能性を遺してくれた「存在」には敬意と感謝しかありません
そして、メディスン・セレモニーに向き合うために、それらの道を様々探究していたのかもしれません
また、一見かかわりの無いように見えるそれらの道が統合され、セレモニーに活かされていることも実感しています
しかし、同じスピリチュアル道を進む人の中に、メディスンへの偏見を持つ人も少なくありません
瞑想家のなかには、アヤワスカをドラッグと言う人もいます
かたや同じ瞑想家のなかにも、自分たちが何十年掛けて辿り着いた境地を、アヤワスカが一晩で見せてくれるのはずるいと言う人も実際にいました
まず、私たちはひどく洗脳され、「常識」と勘違いしていることが多々あることを認めなければなりません
例えば、タバコは体に悪い、塩は高血圧のもと、化粧水は肌にいい、太陽の光に当たるとシミになる…などなど
同様に、「薬物」という言葉のイメージは、現代社会ではひどく悪いものと思われています
同様に、「幻覚剤=麻薬」と勘違いしている人も多々います。幻覚剤と麻薬には大きな違いがあります
もっと言えば、「麻薬」という日本語も操作されているという人もいます
精神医学者ロジャー・ウォルシュの言葉
『薬物は、特定の人々に、特定の状況において、たしかに真性の神秘的体験を引き起こし得る。しかし、準備のできた心においては、それはより起こりやすく、持続的効果も生みやすい』
エマーソンの言葉
『我々は自分の内に持っているもののみを外に見ることができる。外に神を見たことがないという者は、内にそれを持っていないからである』
これらの言葉を鑑みると、セレモニーに「意図」が必要な理由がよくわかります
そして、その人の準備ができたとき、スピリットコールが「自然と」起きるのです