母方の祖父が死んだ。
これで俺の祖父母は残り一人になってしまった。
最初に亡くなったのは12年前、父方の祖父。
その頃俺は小学五年生で、人が死ぬ意味がわからなかった。
父さんが、おじいちゃん帰ってきたぞって言った朝、癌がパッと治るはずないのに、父の言葉の真意が分からず、本当に治って帰って来たのだと思って座敷に行った途端、あっ…って言ったのは覚えてる。
だけど、お葬式も、納骨も意味が分からず、お葬式の日も従兄弟が持ってきたゲームで遊んでた。
ただ、じーちゃんは、人は死んでしまうということ、それには殺されるみたいな対外的な理由がない事を教えてくれた。
じーちゃんばーちゃんの部屋は、ばーちゃんの部屋になってしまった。
それから11年。
父方の祖母が亡くなった。
社会人一年目の冬。正月休みで帰ってきた俺は大垣に帰る前、ボケがちょっと進んで、冬になると毎年弱ってたばーちゃんと、体には気をつけなさいよ⁇ちゃんと食べなさいよ⁇と言われ、ばーちゃんもね!って会話して家を出た。
それから2、3日。
父と母からそれぞれ電話。
俺は先輩と勉強しててスルーしてしまった。
掛け直すと、ばーちゃんが亡くなったと。
ショックだった。
悲しかった。
ぼんやり仕事をこなし、帰りたくても足がないから迎えを待つ。
不思議と実感湧かなくて、道中メシも食えた。
数日ぶりの実家で、数日前に会話したばーちゃんの変わってしまった顔をみて、涙が止まらなくて、でも親戚いっぱい居たから、部屋にダッシュして泣いた。
久々に泣いた。
お通夜も泣いた。葬式も泣いた納骨も泣いたお墓でも泣いた。
でも父は涙ぐんでも泣かなくて、もう親が二人とも他界したのに立派に喪主努めてて、最後の出棺の時には、ありがとうございましたって、ばーちゃんに言ってた。
人が死ぬ意味。
親が死んだ時に、少しでも耐えられるように、孫に身を以て訓練させること。
毎日読経することは、自分が死んでやっと意味があるということ。それが信仰だということ。
自分が死ぬことで人を集めて、もっかい身内同士、しっかり生きようと団結させること。
他にもたくさん、ばーちゃんが亡くなって気づいたこと、分かったこと、本当に意味のある経験だった。
それから約1年。
年末家に帰ると、母方の祖父が入院した話を聞いた。
お風呂でぶっ倒れた脳梗塞。
ばーちゃんと同じ。だけど違ったのは意識が残ってたこと。
鼻と口が出ていたこと。
幸い病状は快方に向かい、リハビリして、帰ってこれるハズだった。
正月に病院行った時は、別れ際手ぇ振ってくれた。
年明け、用があって地元に帰ると、
じーちゃんに末期ガンが見つかったと。
もう手の施しようがない有様だったらしい。
わけも分からず困惑。
ただ俺は、忙しいことを理由に中々じーちゃんの病院に行けずにいた。
もう会えなくなることも、悲しいことも知ってたのに。
現実と直面するのがしんどかったのかわかんないけど、話を聞くだけでも辛くて。
じーちゃんは最期まで、漢であり父であり、じーちゃんだった。
自分が帰る時に風呂が古いままで入れないから、と銘打った自宅の改装。
もしかしたら、死期を悟って、残されたばーちゃんが雪かきして薪たかなくていいように、高い框でつまづかなくていいように。
不器用なんだけど、家族の事はしっかり考えてて職人として生きてきた祖父の、完成を見届けるという最期の仕事はできなかったけど、ちゃんと出来てたよ、じーちゃん。
親、兄弟の次に近い身内である祖父母。
ガキの俺ができることなんて何もないし、父母に比べたら俺の感じた悲しさなんて米粒みたいなものだろうけど、せめてもの恩返しとして、残った母方のばーちゃんに、精一杯孝行してやりたいよなぁ。
長々とすみません。
ちょっと書き留めたくて。
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