母は、地主の長女だった。


昔の言葉で言うところの「家付き娘」。

 

生まれた時から住む家は、巨大な家屋に無数の収納。

 

敷地内には収納専用の倉庫がいくつもある。

 

いくらでも買えるし、いくらでも取っておける。

 

片づけ、整理整頓、断捨離、ミニマリズム。

 

そういう言葉とは無縁の人生だった。

 

 

そんな実家で、先日、私が片づけたものは、缶詰。

 

倉庫の片隅にひっそりと佇んでいた。

 

賞味期限が10年前の缶詰の山。

 

ざっと、100個はあるだろうか。

 

かに缶、ほたて缶、さば缶にいわし缶、やきとり缶もムール貝のオイル漬け缶も。

ピクルスもミックスビーンズもコーンビーフだってあるし、フルーツ缶も山ほどある。

 

これだけあれば、盛大なカクテルパーティーを開催できそうなほどだ。

 

まさに食べきれないほどあり。

文字どおり食べきれなかったからこそ。

10年の時を経てなお今ここに存在しているわけだ。

 

 

 

10年前、すでにそこに住むのは、母、父、姉の3人だけだったはずだ。

 

大食漢はいない。

みなスマートで健康意識が高く、暴飲暴食をするような人もいない。

 

別居の兄や私が家族を連れて帰省することはあったが、それも1年に一度あったかどうか。

 

そもそも母は料理上手で、手作りの食事に強いこだわりを持つ人だった。

 

そんな母が、いったい何を思って、これだけの缶詰を買い溜めたのだろうか。

 

 

 

缶を切り、中身をざるに出し、水分を絞って、新聞紙を敷いたビニール袋に移す。

 

缶本体とふたは、洗剤で洗って乾かして、ビニール袋に詰める。

 

作業は単純だが、いかんせん数が多い。

 

そして、10年前の賞味期限切れという代物である。

 

そうとは思えないほど状態の良いものもあれば。

缶の中で腐敗が進み始めているもの。

腐敗して缶にこびりついて取れないもの。

缶自体が朽ちて中身が漏れ出しているもの。

劣化が進んで缶が黒焦げ状態で元は何だったのかわからないもの。

 

必死で無心で手を動かしても、半日で40個が限界だった。

 

悪臭、激臭。頭痛。咽頭痛。苦痛。

 

気温が30℃近くまで上がった昼下がり。

キッチンに立ったまま、缶を切り続ける作業は、

3Kそのものだった。

 

 

無数の缶詰を開けて、一つ気づいたことがあった。

期限切れのミカンの缶詰はガスが溜まりやすいようだ、ということだ。

ガスが充満して少し膨らんでいた缶に気づかず封を開けたら。

パンっと中身がはじけ飛んで、ミカンの破片が頬に張り付いた。

泣きたくなった。

 

ねぇ、お母さん。

こんなもの。

どうして取っておいたの?

どうして片づけなかったの?

どうして食べなかったの?

どうして買ったの?

 

当たり前だが、亡くなった母は、何も答えてくれない。


虚しさと憐れみで、胸が痛い。


実家の片づけとは、なんと困難なものか。

 

頭を抱えてしまう。

 

孤独すぎる作業だ。


半泣きで、初日終了。