韓国のある小説家は日本文学に言及しながら「線が細い」という表現を使ったそうです。 

前述の通り、私も昔は日本文学や歌詞を読むときに『深さ』を感じたことがほとんどありませんでした。

しかし、松田聖子の映像編集を担当しながら自ら歌詞を翻訳してみると、当時の雰囲気と作者の意図が徐々に結びつき始め、もともと3〜4分程度のシンプルな曲が全く異なる印象を与えるようになりました。

 

特に『水色の朝』という曲が伝えるすべてのものが、言葉では表せない深さを感じさせてくれました。 

 

そしてChatGPTにこの曲に対する自分の感情や考えを共有し整理した結果、次のように要約された文が完成しました。

 

『水色の朝』歌詞解釈要約
『水色の朝』は、恋を始めて間もない少女の胸の高鳴りを描いた歌だが、その中にはより深い意味が込められている。

透明な背景の空色の朝に、カトレアのつぼみが咲く風景は、単なる自然描写ではなく、内面の成熟と美への渇望を象徴している。 「花の女王」と呼ばれるカトレヤがまだ花蕾の状態で登場するのは、すでに輝く存在でありながら、絶えずより完璧になろうとする心を示唆しているようだ。

『誰よりも今、もっと美しくなりたい』という歌詞は、愛のための変化であると同時に、自分を鍛えようとする意志の表れとして読める。 これは、ステージ上で常に完璧を追求してきた松田聖子のイメージとも重なるようだ。

特に「私は私よ / あなたのものよ」というフレーズがこの曲の核となっている。 まず「私は私よ」と自分を宣言し、次に「あなたのものよ」と言う構造は、依存ではなく選択の告白のように聞こえる。 通常、歌詞の登場人物を第三者の立場で歌ってきた松田聖子が、この部分で感情移入から涙を流したというエピソードは、この曲が単なるラブソングを超えて、彼女自身の内面とも深く結びついていることを示している。

結局『水色の朝』は、愛の始まりを歌いながらも、一人の少女が自ら光を放ち始める瞬間を捉えた曲と言えるだろう。

 

音楽は結局、その民族が過ごした時間の別の記録だと私は考えています。 韓国音楽は荒波に耐えた堅固な岩のように重く原色的なエネルギーを放つ一方で、日本音楽は薄い絹のように柔らかく流線的な美感を追求しているようです

 

結論は!『水色の朝』という曲は、私の人生で最も好きな曲だと断言できます。