松江城下に残る武家屋敷。
その前に広がる通りは塩見縄手と呼ばれ、松江城築城の際に、堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から1611年にかけて山を掘削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してつくった城下町の通り。

松江城の周囲を武家の町が取り囲んだ中で、その雰囲気を今に残す場所です。
松江には歴史的町並みがまとまって残るエリアがあまりなく、その点においても貴重なエリアでもあります。

◼︎①武家屋敷 
主屋、長屋門・塀などから構成され、江戸期の面影を今に伝えています。
ここは、塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛が住んいた屋敷。
1733年(享保18年)の大火で焼失後再建されたもので、主屋はその後も幾度かの増改築を経て今に残っています。

近年、松江市所有になってからは一般公開され、当初は建物まわりのみの公開でしたが、

2016年度から3カ年に及ぶ保存修理工事において、解体調査や資料調査により明らかとなった明治期の図面をもとに復元され、現在は内部見学もできます。
松江市指定文化財です。

長屋門から入ると、正面主屋が目に入ります。

来客を迎える座敷と亭主の座敷以外は飾りのない住まいで、武士が生活をした空気感がよく分かります。


◻︎ 座敷
当主が来客を迎える部屋です。

書院横には柾目(平行の木目)の長押。

九曜紋(くようもん)の釘隠しなど格式を重んじたつくりがされています。



◻︎当主居間
来客を迎える座敷と違って意匠性を控えめにした部屋。露が切ってあり、お茶をたしなでいたことが分かります。

書院横から見える庭がとてもきれいです。

面皮(角に木の丸みを残した木材)の長押。

鳥の形の釘隠しなど、遊び心あるつくりです。

表側である式台玄関(来客用玄関)から座敷に至る部分と、裏側である私生活の部分では造りも材料も特に区別がされ、武家の公私の別が区分された様子がよく分かります。


◼︎②小泉八雲旧居
塩見縄手に面して残る武家屋敷。
小泉八雲が1891年(明治24年)に、松江を離れる前5か月間暮らした家です。

根岸家の屋敷として、1868(明治元)年に造られたもの。築150年を超えます。

八雲のお気に入りだったそうで、

三方が開放的な間取りの庭には枯山水の観賞式庭園があります。

小規模ながらも居心地よく、

八雲が気に入った気持ちがわかるものです。

当時、家主は簸川郡(現在の出雲市)の郡長をしていたためこの家は空いており、庭のある侍の屋敷に住みたいと希望する八雲に貸すことになったそうです。


旧居は代々根岸家の手によって八雲が作品に著したままの姿が保存され、1940(昭和15)年に国指定の史跡に。
そして、2018年に松江市の所有となり根岸家の意思を継いで保存し、公開されています。

武家の小規模屋敷に歴史上の人物が住んだことで価値ある建物といえます。