情報処理手法の多くは、欧米系の言語を前提に考えられたものです。当ブログでは、日本の言語・習慣に合わせた情報処理を提案します。
孫子曰く、兵とは國の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。能く知られた『孫子』の冒頭の文である。この「察せざるべからざるなり」が能く分らない。岩波文庫の『孫子』で該當箇所を調べたら「よくよく熟慮せねばならぬ」と譯してゐた。どうしたらかういふ譯になるのか譯が分らん。仕方が無いから自分で品詞分解して譯してみる事にした。まづ「ざるべからず」は二重否定(つまり肯定文)なので無視。「なり」も「也」といふそれほど強くない強調の助字なので無視して良い。殘る問題は「べし」、これが國文だと大變なのだが、漢文の「可(べし)」なら「可能」か「許可」「命令」といつた處か。これで譯し分けてみる。(可能)察することが出來る。(許可)察して宜しい。(命令)察しなさい。先ほどの岩波の「よくよく熟慮せねばならぬ」は(命令)で意譯したのだらう。譯の分らん譯だが、誤譯といふほどではなささうだ。(許可)は此の場合、✕(ぺけ)かな、前後に意味が通じない。(可能)は何か良さげである。意味も通ずるし。つまり死生の地、存亡の道といふのは譯の分らんものではなく合理的に推察可能だ、といつてゐるのだ。個人的には(可能)の譯が一番しつくり來た。みなさんはどうですか。
前囘の記事で水を注文したのに御冷と言ひ直す小料理屋の莫迦な女給の話を書いた。後で想ひついたのだが、あの女給は御冷を水の高級な表現とでも勘違ひしてたのではないか。勿論、御冷や紫(醤油の事)は料理屋の職人の符牒で、どう見ても高級な表現ではない。だが、同じやうな變な勘違ひをして居る奴は意外と多いのかも。例へば昔、「香をかぐ」と何かの席で言つたとき、「香は聞くと言ふんだよ」と變な事を言はれた事がある。「香を聞く」といふ表現は間違ひではないが近代に出來た俗語の類である。古典では皆、「香をかぐ」と書かれてゐる。それをあたかも「香を聞く」の方が高級な表現であるかのやうに指摘されたのである。物知らずにも程があらう。たとへば本居宣長の『玉勝間』にも、「香を聞く」は俗言(さとびごと)であり「かぐ」が雅言(みやびごと)と明記されてゐる。江戸時代にも「香を聞く」が高級な表現と勘違ひしてゐる輩(やから)がゐたのであらう。高級な表現と 勘違ひして俗語を話すのは見てゐて滑稽である。英語で言へばガール(孃)ではなくギャル(黒人の俗語)を使ふやうなものだ。
僕は獨身なので外食の機會が多いのだが、先日、或る小料理屋で久しぶりに切れた。食事を終つて藥を飲むために水を頼んだだけなのだが。御冷で御座いますか。だから水だつて言つてんだらう。御冷で御座いますね。温厚な僕にも限度がある。大聲で怒鳴り散らす羽目になつた。水だつて言つてんだらう。御冷や紫(醤油のこと)のやうな職人の符牒を客に使ふんぢやねえよ。無禮な女給だな。これがサクラ水産のアフリカ人の店員ならもう少し優しく對應できたらう。だが此の女給は何處から見ても日本人である。ちやんと小學校を卒業してゐるか確認したかつたが、常識人なので自制した。僕も齡相應に丸くなつた。因に呑屋で店の人に「御愛想」などと大聲で叫ぶ奴もどうにかならんのだらうか。あれは店主が「愛想の無い事で御座いますが御 代は✕✕です」なんてときに使ふ言葉である。要するに客が通ぶつてかうした言葉を使ふのは聞き苦しいのだ。料理屋での作法くらゐ、義務教育で教へろよ。
前囘は「韓國の劣化は何時から始まつたか」といふ記事で韓國人の質の劣化の原因を論じた。では日本人の劣化はいつから始まつたのだらう。それは、戰後ではない、もつと以前からの事なのである。僕は日本の智識人が一番頭が良かつたのは、江戸時代だと想ふ。忘れられた思想家も含めて、此の時代は色々な制約があつたにも拘らず、天才が澤山、出現した。僕の漢文の師の宇野精一は、學者の番附で江戸時代の大儒が横綱なら、自分はせいぜいふんどし擔ぎぐらゐだらう、と言つてゐた。現代の大儒にして、せいぜいふんどし擔ぎなのである。あとは押して知るべし、であらう。日本人の劣化は、實は明治から始まつてゐる。それでも明治が光り輝くのは、まだ江戸時代に教育を受けた人材が澤山ゐたからだ。兵頭二十八氏は、日本人の國語能力が明治後半あたりから劣化し始め、それとともに日本人の(政治的な)迷走が始まるのだといふ趣旨の發言をされてゐる。僕も昨年は防大生の勉強會に參加して、戰前の文書もまともに讀めなくなつてゐる今時の學生の國語能力の低さに衝撃を受けたものである。ぐちばかり書いても仕方ないので、はつきりと日本人劣化の原因を指摘しよう。それは、明治以降の教育で漢文の素讀や和歌の諳記を重視しなくなつたからである。國語力が低いと、實は人文科學や社會科學だけでなく自然科學さへも深くは理解できなくなる。當前である、日本人は國語でものを考へるのだから。漢文も實は國語教育なのである。あれは支那語ではなく書き下し文といふ特殊な國語の練習なのだから。算數も計算はできても、文章題を數式にして表現する事ができない。國語をちやんと理解してゐるないからである。昔は子供の頃に漢文や和歌を聲を出して讀む事で、腦に國語を理解するための回路を作つた。讀書百遍、意自ずから通ず、とか言つたものである。因みに江戸時代に書を讀むとは聲を出して讀む事で默讀は見ると言つた。書見臺なんて言葉にその名殘が殘つてゐる。さうしてやつと古典の音讀が知的能力を上げるために不可欠だ、といふ事に気づきはじめた人が少しづつ出て來た。例へば親子で古典を音讀しませう、といつた趣旨の本が出回りはじめてゐるのである。今更、といふ氣がしないでもないが、それが日本再生に繫がる事を願つてゐる。
韓國の劣化は何時から始まつたか。少なくとも日本人の殆んどが此の國に關心を持たないか獨裁政治を批判してゐた朴正熙の時代には、韓國の朝鮮人は今より遙かにまともだつた。全斗煥の登場とともに、韓國の劣化は始まつた。日本への強請が開始されたのである。韓國に防衛施設を作る爲の資金を援助しろ、といふ話だつた。實は韓國では、全斗煥の登場とともに世代交代が起きてゐた。つまり、榮光の日本統治時代に教育を受けた優秀な人材が第一線を退きはじめたのだ。あとには戰後に教育を受けた漢字もろくに讀めない諺文世代が續く事になる。つまり、朝鮮人の歴史回歸が始まつたのである。明治の頃の朝鮮人の政治家は全く禁治産者の集りだつた。當時の半島は日本にとつて地政學的に無視できない地域だつたにも拘らず、である。このため日本は日清日露と二度にわたる大戰爭に卷込まれた。みんな半島の禁治産者達のせい である。日本が此以上、半島の禁治産者達の獨立を容認できなかつたのは當然である。そして日本は朝鮮人に諺文(おんもん)を普及し、帝国大學まで作つて朝鮮人の改造に着手した。その結果、朴正熙のやうな朝鮮人とは想へない優秀な政治家が現れた。だがそれも御仕舞ひである。朝鮮人の教育は日本人の手を離れ、また朝鮮人は禁治産者の集團に戻つて行く。我々に出來る事はもう、彼らを出來るだけ無視する事しかない。言ひがかりには反論せざるを得ないが、馬鹿への反論は非常に疲れる。なにせ彼らはもう、漢字で歴史文獻を確認する能力さへ無いのだから。
本日は年に一度の連歌の會に出席した。始めた頃に比べれば皆、上達してゐるのだらう。一時間強で終了する事が出來た。最近は和歌について、元がどういふものだつたかが少し分つて來たやうに思ふ。もともと和歌は古詩や漢字同樣、神との通信手段だつたのだ。特に日本の古典を讀むと能く分るのだが、神や鬼は普 通の人語を用ゐない。だいたい和歌のやうな韻文で人間に意志を傳へるのだ。神や鬼は特別の存在で、だから普通に人語を話したりはしない、といふ諒解事項が、古代にはあつたのだらう。だから特別な言葉(和歌)で意志を傳達する。支那の場合は特別な神聖文字(漢字の元型の甲骨文)で、人は神と通信する。その文も段々、韻を踏むやうになつて、詩が生まれる。支那の古代歌謠も、人の意志を神に強制する爲の特別な形式である。漢字はもともと神との通信手段で、一般事務に漢字が使はれるやうになるのは可也、時代が下つてからの事である。要するに神と通信するためには、日常言語学ではない何らかの特別な通信手段が必要なのである。萬葉集にはさうした呪歌の傳統が顕著なのだが、古今集以降は呪歌の傳統が枕言葉くらゐにしか殘らなくなる。それでも要するに神と通信するためには特別な通信手段が必要といふ思想は殘つてゐるから、日本の古典では鬼神は和歌で通話するのである。
昔、高校の古文で「え~ず」といふのを習つた事がある。「~できない」といふ意味だ。現代語では使はないので、能く分らない言葉だつた。これについて最近、思ひ當る事があつた。實は現代語にも「え~ず」は殘つてゐるのである。例へば、「よう、~せんわ」なんて關西語で言つたりする。「え」に「う」が附いて「ヨー」になるのである。「要するに」が「えうするに」と書いて「ヨースルニ」と發音するやうに。歴史的假名づかひの智識が無いと、かうした言葉のつながりに気づかない言葉の不感症に成る。現代仮名遣は發音を重視したものなので、言葉のつながりが分りにくい。學校で現代仮名遣を教へるのは仕方ないのだが、先に歴史的假名遣を教へてくれないだらうか。現代仮名遣は歴史的假名遣の崩しなのだから、その方が簡単な筈だ。もつとも歴史的假名遣がちやんと讀書きできるなら、現代仮名遣なんか「こんなもの要らない」だらうが。僕の若い友人に歴史的假名遣でものを書く學生がゐる。専門は航空宇宙科學科だつたと想ふ。僕と同じ理系の人間だ。或時、歴史的假名遣を何處で覺えたか聞いてみたら、意外な事に僕の賦録(ブログ)を讀むで覺えた、との事。さういへば昔、ネタが思ひつかなくて歴史的假名遣講座なんかを連載したつけ。
前囘の記事では、煉獄だけでなく天國も地獄もイエスの思想ではなく、教會の都合で作られた教義である事を述べた。この正統教義の天國と地獄と、普通の日本人にはなかなか理解不能な思想なのである。たとへば囘教の天國と地獄とは、日本人にはとても理解しやすい。戒律を守つた正しい人が天國へ行き、戒律を守らない惡人が地獄へ落ちる。ちなみに囘教の天國ではワインが飲み放題で性慾處理用の専用の處女も用意されてゐる。キリスト教ではどうかつて、人間が努力と善行によつて天國に行ける、といふ思想は早くから異端視されてゐた。ペルギウスの異端といふ。誰が天國へ上り誰が地獄に落ちるかは神により前もつて定められてをり、人間の有限で不完全な努力などで覆るものではない。此れがキリスト教の正統信仰なのであり、頑張つて天國に行けるやうに努力するなんてのは異端の思想なのである。え、イエスは本当にそんな事を言つたのかて。だからイエスは天國も地獄も語つてないんだつてば。此の地上で神の裁が始まる筈だつたんだから。そして天國と地獄といふ思想はコペルニクスの登場によつてまた危機に陥る。要するに地球が丸いんぢや、天にまします我らの神は何處にゐるの、といふ話である。これは我々の心の中とか、色々と胡麻化す説が出始める。それぢや、佛教の十界思想だらう、ちうの。取敢ず、御都合主義で出來た天國と地獄といふ思想が科學の發展によつてまた不都合になつた、といふ話でした。
經濟學講義もまだ三囘しかしてゐないが、少し飽きて來たので別の話題を。あ、やめた譯ぢやないです、經濟學講義もまた續(つづき)を書きます。キリスト教の膽(キモ)は、此の宗教がイエスに就ての教(をしへ)であつても、イエスの教ではない事である。例へば「煉獄(れんごく)」、此の概念は舊教(カソリツク)以降のキリスト教にしか見られないものだ。つまり希臘正教(以後、正教と略す)にも非カルケドン派にも見られない。こんな教がイエスのものである筈が無い。もつと言へば、天國も地獄もイエスの教ではない(こちらは正教にも非カルケドン派にも有る概念たが)福音書をちやんと讀めば(聖書をちやんと讀むでゐる切支丹は意外と少い)分るやうに、イエスは此の地上に神が介入して裁(さばき)が行はれる、 と主張してゐた。人が死ぬだ後に裁かれるのではなく、此の矛盾に満ちた腐つた現世の歴史に神が直接介入なさる、と信じてゐた。だから神が地上に顯(あらは)れて裁を始める前に改心しておきなさい、と人々に訓(をし)へ諭した。死んだ義人は此の地上に肉体とともに復活し、惡人は處罰されて永遠の死を與へられる。何處にも天國や地獄の餘地は無い。だが此の教には、不都合がある。イエスが死ぬで何百年、何千年經つても、神は顯(あらは)れなかつたからだ。このやうにしてイエスとは関係ない基利斯督の教が作られて行くのである。天國や地獄はその分りやすい例である。新約聖書を讀めば誰でも確認できるのだから。
前回はポール・クルーグマンの經濟發展の型理論を紹介した。日本經濟は歐米型の經濟發展を遂げたのであり、他の亞細亞諸國の經濟發展とは質的に異なるといふ話である。今回はハイエクの高弟の西山千明の實證研究について御紹介する。 もう三十年前くらゐの話だが、西山は日本企業の社員教育費がどの程度なのかを調査した。その結果、日本企業は歐米諸國とは比べものにならないほど社員教育に金を掛けてゐる事が分つた。つまり終身雇用制度などの日本的な慣習は、かうした金を掛けた社員が流出しない爲の經濟合理的な行動だつたのである。日本の經濟成長の生産性向上はかうした人達が擔つたのだ。最近の日本の會社は社員教育に金を掛けなくなつた。必要な技術者は外部から連れて來れば良いと考へてゐる。社内システムの構築もアウトソーシングが當り前になつた。さうした餘所者達が生産性をどの程度上げて呉れるかは大いに疑問と言はねばならない。簡単に言へば、企業のグローバル化で日本の企業は劣化したのだ。歐米と同じ方法で優位など勝ち取れるものではない。當り前だが、アウトソーシングで社内に技術が蓄積されたりはしないのだ。
ノーベル經濟學賞受賞學者のポール・クルーグ マンには、若い頃に書いた生産性に就ての興味深い論文がある。クルーグマンは經濟發展を二つの型に分類した。西歐モデルとスターリンの五箇年計劃モデルュ(以後、蘇聯モデルと略す)である。どちらも經濟發展を達成したのだが、此の二つのモデルには質的な違ひがある。蘇聯型モデルは入力を増やした事によつて出力が増えた。といふか、出力の増加は全て入力の増加により説明がつく。例へば御婦人を家庭から解放すると稱して工場で働かせたりして、蘇聯は入力を増やした。これに對して西歐型の經濟發展は入力の増加では説明がつかないほど出力が伸びてゐる。つまり、經濟發展の過程で生産性も向上してゐるのだ。クルーグマンは、このモデルを亞細亞の經濟發展分析に利用した。その結果、西歐型の經濟發展をした國は日本だけな事に氣づいた。韓国も支那も、經濟發展の型は蘇聯型だつたのである。つまり日本以外の亞細亞諸國の經濟發展は、生産性の向上を伴つてゐない。これらの文明は、自力で生産性を向上させる力を持たないのだ。それでは何故、日本だけが西歐型の經濟發展が可能だつたのだらう。かうした問題意識から、僕は戰後の日本經濟の秘密を調べてみたのである。つづく。
これからしばらく、經濟學の講義をします。新しい學説等は殆んどありませんが、それでも耳新しい話の筈です。教科書のやうなマクロ經濟學とかミクロ經濟學の話はしません。そんなのは一昔なら、サムエルソンの教科書を讀めば理解できる話です。要するに經濟學者でもない僕がしてもしようがない。まあ、一通は出來ると思ひますけどね。デフレ對策なども三橋貴明さんに御任せします。では何の話がしたいかといふと、生産性の話です。友人には部分的に語つた話なのですが、體系的にまとめた事が無いので。經濟學で一番重要な話題は生産性の話の筈ですが、なかなか最先端の經濟學の中心議題にはなりません。論文を書くのが難しいかららしいです。昔は生産性について話題にする經濟學者もゐました。例へばシユンペータなどです。彼は生産性の向上を可能にするのはイノベーションだと考へました。數年前にノーベル經濟學賞を受賞したポール・クルーグマンも、若い頃に生産性について面白い説を發表してゐます。まづは此の説から御紹介しませう。少なくとも僕は、大きな影響を受けてゐます。つづく。
最近知つたミニ智識。皆さまは「大江廣元」を何と讀まれるだらう。「おほえひろもと?」、ブブー、罰點。正しくは「おほえのひろもと」と讀む。「大江」は苗字ではなく本姓だから、「の」を付けるのださうだ。「平清盛」は「たいらきよもり」ではなく「たいらのきよもり」、「源頼朝」は「みなもとよりとも」ではなく「みなもとのよりとも」、それと同じである。かういふ基礎知識は小學校で教へて欲しい。とすると「眞田信之」は本姓は滋野だから、「滋野信之」は「しげのののぶゆき」となるのだらうな。註、「眞田信之」は幸村の兄です。「滋野」は眞田氏の本姓。他に「源平藤橘」でない本姓には、「雜賀孫市」の本姓が「鈴木」とか、色々あります。
最近、「ロウきゅーぶ」といふ動畫を纒めて見直した。女の子の倶樂部活動の話である。全く、小學生は最高だぜ!處で「ロウきゅーぶ」とは何だらう。漢字ではかう書く。籠球部。「籠」は「かご」のことで、要するに「バスケツトボール」である。片假名で書いても、意味が分らない。他の球戲も色々と擧げてみよう。「ベースボール」は普通、「野球」と譯す。何故「野」なのだらう。支那語では「棒球」とか「塁球」などと譯してた。「塁球」が一番、正確な譯に思へるが、いかがなものか。サツカアは蹴球、バレーは排球である。ピンポンが卓球で、これはテーブルテニスのテーブルが卓になつたのだらう。テニスは庭球で、これも能く分らない譯である。テニスコートのコートを庭と譯したのだらうか。
2015年9月の読書メーター読んだ本の数:7冊読んだページ数:1362ページナイス数:2ナイス神奈川「地理・地名・地図」の謎 (じっぴコンパクト新書)読了日:9月30日 著者:武蔵くんと村山さんは付き合ってみた。2 ((アース・スターコミックス))読了日:9月30日 著者:なるあすく戦争責任と靖国問題 ―誰が何をいつ決断したのか読了日:9月29日 著者:山本七平一揆の世界と法 (日本史リブレット)読了日:9月28日 著者:久留島典子頭山満と近代日本読了日:9月17日 著者:大川周明日本人とキリスト教の奇妙な関係 (角川新書)読了日:9月12日 著者:菊地章太組織は合理的に失敗する(日経ビジネス人文庫)読了日:9月5日 著者:菊澤研宗読書メーター
奴國王は後漢から金印を貰つた。因に現存する「漢委奴國王」の印は僞物だらう(金印を貰つたのは本當の事)。本物ならば「委國王之印」と書かれてゐる筈だ、と宮崎市定が指摘してゐる。日本人は教科書で「金印を貰つた」といふ記事を讀むだけなので、これがどれほど凄 いことか理解してゐない。王なら皆、金印が貰へるのだらうと想つてゐる。例へば朝鮮半島の王朝は昔から銅印止まりである。銀印を貰へた國王さへ一人もゐない。邪馬臺國の卑彌呼は勿論金印だつたが、魏への使節の何人かは別に銀印を貰つてる。高麗や朝鮮の王朝はそれほど格が低いのである。といふか、日本が高すぎるのである。因みに元の頃の高麗王は駙馬國王(皇帝の女聲)だつた。それでも銅印である。室町時代の日本國王・源道義(足利義滿)は勿論、金印を貰つてゐる。駙馬國王よりも断然、格上なのである。最近の朝鮮人は中華秩序では自分たちの方が格上だと勘違してる馬鹿が多いが、眞實の中華秩序は上に記した通りである。江戸時代でも朝鮮王朝より琉球王朝の方が、支那では格上に扱はれてゐた。印鑑も銀印である。
2015年8月の読書メーター読んだ本の数:4冊読んだページ数:913ページナイス数:0ナイス「斎藤一人 世界一ものスゴい成功法則」 (語り下ろし CDつき!)読了日:8月30日 著者:斎藤一人世界は宗教で動いてる (光文社新書)読了日:8月30日 著者:橋爪大三郎修羅場の極意 (中公新書ラクレ)読了日:8月23日 著者:佐藤優奴隷のしつけ方読了日:8月16日 著者:マルクスシドニウスファルクス,ジェリートナー読書メーター
「天高く馬肥ゆる秋」の意味に就ては以前に此の賦録(ブログ)でも紹介した事がある。「そろそろ匈奴が作物を狙つて南下して來るぞ」といふ意味の言葉である。最近、「百人一首」の文屋康秀の歌に、面白いのを見つけた。「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ」秋といへば颱風の季節だが、ねずさんによれば此の「山風」は颱風ではない。颱風は海から吹上げる海風で吹くベクトルが逆である。此の山風は實は僧兵達の強訴の事ださうだ。僧たちは夏は涼しい山に籠もり續り、京(みやこ)が涼しくなる神輿を担いで強訴に押掛ける。そして文字通り京(みやこ)をあらしてまわるのだ。善く出來た歌である。かうして見ると秋は支那人にとつてだけでなく、日本 人にとつても至極迷惑な季節だつたのだらう。因(ちなみ)に漱石の『坊つちやん』に出て來る「山嵐」は、「ゐのしし」の事ださうだ。
僕にとつて乃木希典は、子供の頃から英雄だつた。軍事學を多少學んでからは、その軍事的業績に驚歎した。乃木こそは必敗と想はれた日露會戰を勝利に導いた名將中の名將である事を知つた。だが乃木の思想らしきものに共感を覺えるやうになつたのは、四十歳を過ぎてからの事である。そもそも此の人は軍人なので、思想書のやうなものを書殘してはゐない。乃木は西郷隆盛とは異り、明治時代に適應異常を起さなかつた。西歐に幻惑された譯でも、その反動として日本主義にのめり込むだ譯でもない。ただ獨逸留学で西洋にも良いところもあれば惡いところもあると悟り、自分は良き日本人であらうと努めただけである。この普通さが、僕は好きだ。乃木將軍の天皇觀についても觸れてみたい。それを伺ひ知る爲に二のエピソオドを紹介する。それだけで單純な天皇主義者ではなかつた事が分る。一は彼が福澤諭吉の『帝室論』を高く評價してゐた、といふ事實である。福澤は『帝室論』に於て「天皇は政治社外のもの」である、と主張してゐる。此の本を乃木が高く評價するといふのは驚き以外の何者でもない。乃木が若い頃に參加した維新戰爭は、天皇を社外に置くどころか政治の中心に据えやうとする運動だつた。また乃木は自決する前に昭和天皇に二の書を講義してゐる。それが乃木の最期のメッセージだつた。其の二の書とは『中朝事實』と『中興鑑言』とである。『中朝事實』は置くとして、『中興鑑言』は後醍醐天皇を批判した書物である。乃木の昭和天皇への訓(おしへ)が目に浮かぶやうではないか。要するに乃木は、後醍醐天皇のやうな皇帝型の天皇になつてはいけませんよ、と諌めたのである。つまり晩年の乃木は、天皇は政治社外のもので皇帝のやうな獨裁權力者ではない、と考へてゐた。それが僕が最も影響を受けた乃木の天皇觀なのである。
日本史と支那史とを比べるとき、大きな違ひに氣づく。日本人の歴史は縄文時代、或はそれ以前から一貫した一の民族の歴史である。つまり現代の日本人の大半は遺傳子的にも繩文人の子孫である。彌生時代に大量の大陸人が渡來した、といふ説は今日では完全に否定されてゐる。さうした觀點で支那史を見るとき、古代の支那人は現代の支那人と繫がつてゐない。例へば皆様能く御存知の黄河文明、多くの人が誤解してゐるが、これはモンゴロイドの文明ではない。コーカソイドの文明なのである。つまり、現代の支那人とは關係のない人達の文明なのだ。コーカソイドの文明では、現代の支那人とは繫る筈が無い。黄河文明より千年ほど前には長江文明といふのが存在した。これも現在の支那人とは無縁の人達らしい。どちらかといへば現在の支那の少数民族の先祖なのだといふ。漢民族といふ言葉があるが、今日の支那にその子孫がどれほど生残つてゐるかも疑問である 。或る人の説によれば、ほとんど絶滅してゐるのださうだ。支那といふ言葉は始皇帝の秦王朝に由来するが、漢民族が絶滅したなら秦の時代の人達も現代には繫らない。黄河文明を見れば明らかなやうに、支那史とは地域史ではあつても一貫した民族史ではないのだ。支那人といふ一貫した民族は存在しない。