本當の支那史といつても、現在の支那人の歴史は百年程度しか無い。それ以前の支那史は、違ふ民族の別の歴史なのである。


基本的に地史としての支那史は有得ても、民族史としての支那史はとても短いのである。此の賦録では地史としての支那史を扱ふ。


因に「中国四千年の歴史」といふのは啻(ただ)の與太話である。こんな論理が許されるなら、アメリカもインディアンか住著て以來の長い民族の歴史を持つ事になる。


扨、地史としての支那の歴史の話をはじめよう。科學雑誌ニュートンの最近の記事によると、新人が十萬年以上前から亞細亞にゐた痕跡が發見された、といふ。


それまでは五萬年前にアフリカを北上して紅海を渡つた百人程度の人たちが、全ての歐羅巴人や亞細亞人の先祖と想はれてゐた。


五萬年前、白子化した人類(コーカソイド)は暑さに耐へかねて北上し、南シベリアのあたりに集結したあと、世界中に分散した。


歐羅巴には、新人はゐなかつたが舊人類がまだ殘つてゐた。そして亞細亞に進出したコーカソイドは、十萬年前から亞細亞に住著いてゐたモンゴロイドと接觸する。


現在、古代支那史はカ系とイ系の民族の爭として整理されてゐるが、イ系がすなはちモンゴロイドで、カ系が新參のコーカソイドである。


そして黄河文明はカ系のコーカソイドによつて作られた事が知られてゐる。つまり黄河文明は、現在中國人を自称するモンゴロイドとは無關係な文明なのである。