最近は山鹿素行の『正教要録』を讀むでゐるのだが、色々と考へさせられる事が多かつた。岩波文庫で出てゐる第五刷なのだが、本文は和臭ただよふ漢文である(書き下し文は正字正假名遣)


此の本の最初には「聖人」についての解説(定義)が書かれてゐる。此の本の漢文は返點や振假名まで載せないと讀みにくいので、妥協して書き下し文を引用する。


聖人は知ること至りて心正し。天地の間通ぜずと云ふこと無し。其の行や篤うして條理あり。其の應接や從容として禮に中る。・・・


どういふ人が聖人なのかといふと、十聖人の例を擧げてゐる。()は分りやすいやう僕が追加した。伏羲、神農(炎帝)、帝堯、帝舜、禹、湯、文、武、周公(旦)


すぐに氣づくのは、「黄帝」が出て來ない事である。「黄帝」は儒家の「帝堯、帝舜」に對抗して道家が捏ち上げた帝だが、素行は之を嫌つたのであらうか。


僕の漢文の師である宇野精一氏は、古くからある帝は「帝堯、帝舜」のやうに「帝」が前に來る、と仰有つてゐた。「黄帝・炎帝」は、「帝堯、帝舜」よりも後に登場するのである。


周公旦と同じくらゐ重要な役割を果した召公奭(セキ)は、何故か聖人として擧げられる事が稀である。元々、周族ではないからかも知れない。


僕は「聖人は知ること至りて心正し。天地の間通ぜずと云ふこと無し」などとは考へた事もない。特に十聖人は、多分、僕よりも知識に劣り、頭も惡かつたに違ひない。


もつとも伏羲、神農(炎帝)、帝堯、帝舜、禹は實在の人物ではないし、湯王の實在も疑はしいが。多分、實在した文王(ブンノーと發音する)、武王、周公旦は、皆、周王朝の人である。


僕は少なくとも實在したらう文、武、周公をスキタイ系の文化を有(も)つた土人(西戎)くらゐにしか想つてゐないのだが、江戸時代の儒者は皆、禮樂(社會制度)を作つた聖人として崇めてゐた。


江戸時代の學者には聖人が大工の息子のイイススのやうに、全智全能の神に近い人と想はれてゐた事が、引用した文章からも分るであらう。


江戸時代の學者達にとつてかうした聖人達が作り上げた禮樂(理想の政治制度)は、王(皇帝)の一元政治だつた事も疑無い。それは北極星の周を衆星が巡るやうな政治(孔子)だつた。


儒學の思想は古註も新註も陽明學も古學も古文辭學も考證學も、このやうな虚構を前提に構築されたものなのである。


まあ、だから無價値な思想だ、などといふ氣は無い。それどころか僕は、『正教要録』の眞摯な文章に感動さへ覺えるのである。


それは眞面目に聖人のやうに振舞つて聖人に近づかうと思念した文章だからだ。